一人部屋の病室のベッドに、上半身を起こして背を壁側に預けながら本を読んでいると、ホークアイが息を切らして焦ったように入ってきた。


「どうした?鋼のは見付かったか?」


逆に落ち着いた様子でロイは答える。
ホークアイにはエドの居場所を調べるように頼んでおいた。
あの事件の日から、エドと別れの挨拶を交わしてから数週間が経った。
ロイは大総統との戦いで深い傷を負ったため、数週間が経った今も入院せざるを得なく、軍務にも復帰することが出来ないため、今まで殆どなかった暇な時間というものを持て余していた。
軍務などはこの際どうでもいいが、ただ一つ気になることがあった。
エドワード・エルリックの所在の行方。
ようやく体も安定し、ある程度一人でも出来るようにまで回復したので、そろそろ会っても大丈夫だろうとふんで、先日中尉に頼んだのだった。
その中尉が戻って来たということは、分かったのだろう。
早く、会いたかった。
会って抱きしめてやりたかった。
色んな戦いで傷ついた心ごと、抱きしめてやりたかった。


「大佐…、」


しかし、ホークアイの顔は曇った表情をしていて。


「落ち着いて、聞いてください…」


直感で、悟った。


金魚花火  前編




それから一週間が経ち、ロイはようやく退院の許可を貰った。
そして病院を出て、一番初めに向かったのは司令部ではなく東部の田舎町、リゼンブールだった。
駅を出て、荒野が広がる道を歩く。
ロックベル技師装具屋は駅からどの道も曲ることなく、真っ直ぐの位置にある。
ロイは今だ中尉から告げられた言葉を信じることが出来なかった。
それがエドの一番の身内であるウィンリィと錬金術の師であるイズミの言葉だったとしても。
自分の目で確かめるまでは、と。
家に着き、辺りを見回した。
この間来た時と殆ど変わってはいない。
変わった所といえば、ロゼという人物が子供と共に、この家で一緒に暮らし始めた所から出来た遊び道具位だ。
そんなことを頭に置きつつ、ロイは階段を上り、扉を叩いた。
はい、と中から子供の声が聞こえ、扉が開いた。


「はい!どちら様でしょうか!」


一瞬、抱きしめてしまいそうになった。
が、それは直ぐに悲しい笑顔に変わった。
エドでは、ない。
エドと同じ金髪で、同じ瞳の色をしていがら、違う。
そしてこの子供が、弟のアルフォンスだと悟った。








「…やはり、エドは…」


丁度錬金術に詳しいイズミが居たので、ロイは二人きりにして欲しいと頼んで、互いは向かい合うようにしてダイニングテーブルに腰をかけた。
今の今まで、この家に着いたら真っ先にあの子の顔を見れると信じて止まなかった分、ショックは小さくない。
だが現実は受け入れなければいけないのだ。
だから、第一声にその言葉を選んだ。


「…」


こくん、と小さく頷くだけの動作。
それだけで、十分だった。
現実を受け入れるには、それだけで。
それきり、暫く二人は言葉を発さなかったが。


「…私も、今も…大きな音を立てて、笑顔で…」


ただいまって。
戻ってくるんじゃないか、って。
イズミはぽつりと呟いた。
その表情は、先程ロイが浮かべたような、悲しい笑みだった。
だがここで諦めるのか?
本当にこのまま、そんな表情を浮かべているだけでいいのか?


「…エドが、どうして消えたのか…ご存知ですか」


そう、消えただけ。
死んではいないんだ。
望みは、捨てない。
ロイの力強い目に、イズミははっとした。
この人はまだ諦めてはいないんだと。
信じているんだと。


「…分からない」


でも、『扉の向こう』にいることは、確かだと思う。
以前師であるダンテに聞いたことがあるだけで不確かだったが、一番有力なのはこれだけだったから、ロイに言った。
その言葉に何か望みを託すように。


「詳しく、話して頂けますか」


そう言ったロイの言葉に、イズミも望みを託したくなった。
まだ生きているであろう、息子のような存在を。


『扉の向こう』と呼ばれる世界は、ロイたちのいる世界とは対に存在する。
勿論時間も通常と同じように流れる。
唯一つ違うことは、錬金術。
ロイたちの世界では錬金術が発達したが、『扉の向こう』の世界では機械が発展を遂げた。
何故、そんな違いがあるのか。
それは錬金術にあり、錬金術師たちが錬金術を使う度に、自分の中にある扉を開け、『扉の向こう』の世界の命を使うからだ。
等価交換の法則だけでは説明しきれない、錬金術を使う際に生じるエネルギー。
それを『向こう』の命を使って、補っているのだ。
だから、人が死ぬたびに、錬金術を使われているんだと悟ることが出来る。


「また、何か起こっているのか…?」


今エドとホーエンハイムの居る世界では、戦争が起こっていた。
人が沢山死ぬ、戦争が。
この世界の歴史は対になっていると言っても、いつだって錬金術の世界に左右される。
心配そうに、部屋の窓から暗い空を見上げていると、ホーエンハイムが入ってきた。


「…ここももう危ない」
「…あぁ、」


促されるように立ち上がって、父に近付いた、途端。
ごぉん、という低い音が響いた。


「「っ!?」」


おそらく、何処かに爆弾が落とされたのだろう。
音からしてかなり近い。
と、更に連続して大きな爆破音が耳を刺激する。


「まずい…近くの研究所に落とされたようだ…」
「んな…!」


爆破は火以上に広がりが早く、何より止める手立てがない。
早く此処から逃げなければ。
そう思ってエドが足を踏み出した瞬間。
がらがらと音を立てて天井が急激に近付いてくるのが目に入ったときには、もう遅かった。


「そうですか…」
「すまない…役に立てなくて」
「いえ、十分です」


イズミから『扉の向こう』の世界の話を聞き、ロイは礼を言った。


「生きていると、分かったことだけでも十分ですから」


だが、同時にもどかしさが込み上げてくる。
生きているのに、何もしてやれないもどかしさ。
この悔しさ。
それはイズミも分かっていた。


「…でも、辛いことには変わりはないだろう」


存在だけを信じることは、安易なことではないのだ。


「それに、耐えられるのか?」


問われると、ロイは一瞬苦笑したような笑顔をもらす。
その後に続いた表情に、イズミは目を見開いた。


「それでも…あの子に、エドに会いたいんです」


私の、全てなんですよ。
そう言った、ロイの笑顔に。


「…う…」


目を開けると、そこは白く明るい世界。
仰向けになって倒れていたエドは、左右を見渡しても同じ色をしていることに違和感を覚え、ばっとうつ伏せに体勢を変ると。
見覚えのあるものが、視界に入る。
ゆっくりと視線を上に走らせ、エドは目を見開いた。
まさか、そんな。


「…扉…」


俺が通ってきた、扉。
エドはよろりと立ち上がると、何かに誘われるようにその扉に近付き、手をかけようとした。
その時。


「行きなさい」


後ろから、優しい声が聞こえた。
振り向くと、ホーエンハイムがこちらを向いて立っている。


「え…」


父から言われた言葉に、エドは父の言葉と扉を交互に見て、戸惑いを示す。
行きなさいって? この『扉の向こう』に?


「お前には私と違って、若いし未来もある」


帰れるのならば、帰りなさい。


「でも!」


この扉を潜ってしまったら、代価も肉体もない今の俺はどうなるか分からない。
帰れたとしても、人の形をしていないかもしれない。
何より。


「親父を置いて帰れるわけがない―――!」
「…」


切ない表情と共に放たれた言葉に、ホーエンハイムもまた、悲しい笑みを浮かべる。
あんなに嫌われていると思っていたのに。
いつしか、本当の父親として慕ってくれていたんだ。
それが嬉しくて。
だから尚更。


「私は、お前に生きてもらいたいんだ」
「!」


この世界に居ては、いつ錬金術の反動で命を奪われるか分からない。
現にこうして扉の前に立っているのだ。
それが、何よりの危機を示している。


「こんな世界で死んではいけない」


お前には、帰る場所があるんだろう?


「――――!!」


知っていたんだ。
親父は、俺が抱いていた想いを知っていたんだ。
自分でも隠していたのに、それを思い出させるように言われた言葉に、目頭が熱くなった。


「…でも、でも―――!」


やっと会えた親父と、離れたくない。
でも、会いたいという感情は押さえられない。
その葛藤を終わらせるべく、ホーエンハイムは口を開いた。


「…私の命は、そう長くはない」


だが、お前の肉体を今のまま『向こう』へ持っていく位の力ならば、まだ残っている。


「私の体の中にある、賢者の石の使えば出来る」
「嫌だ!」
「エド、」


そんなことをしたら、親父の体が代価として払われてしまうことくらい予想がつく。
俺の所為でそんなことになるなんて。
俺の為にそんなことをするなんて。


「嫌だ…っ!」
「エド…」


悲痛な叫びの語尾は、ホーエンハイムの胸に消えた。
ホーエンハイムは困ったように肩を抱いたが、直ぐに自分から離して。


「いいんだ」


これ位しか、私には出来ないんだから。
父親らしいことは、これ位しか。
そう言うと、エドを反転させて扉の前まで背中を押して。


「幸せに、なってくれ―――」


その声を聞いてエドは振り向くが。
人の気配を感じて扉が開いた瞬間、ホーエンハイムはエドを扉の中に押し込んだ。


「っ父さん―――――っ!!」


呼ぶ声は小さくなり、愛しい息子と共に扉の奥へ奥へと消えていった。


「…これで、いいんだよ―――エド…」


残されたホーエンハイムの体は薄く光を放ち。
幸せそうな笑みを浮かべたまま、姿を。
消した。


俺は、父さんの死を無駄にしない。
絶対、元の世界へ戻るよ。
幸せになるよ。
もう会えねェけど。
ただ、最後に一度だけ。
ありがとうと、言いたかった――――。





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