母さんは目を開けた俺の額にふんわりと手の平を置いて、言った。


―――まだ、眠い…?



暖かい手は、その言葉と共に眠気を誘う。


―――うん、


暖かい光と手に包まれて、俺の体はまだ睡眠を欲しているように気だるくて、俺は素直に頷いた。
もう、十分眠ったはずなのに。
目を、ちゃんと開けなきゃいけないはずなのに。
でも俺に眠っていたという記憶はなくて。
だから、もう目覚めないとというはっきりとした言葉を言えなかった。


……でも、もう目を開けないと…



分かってる。
俺も、もういい加減起きないとって思う。
でも。


―――でもまだ……凄く……ねむ、い―――


俺の意思に反して、俺をまた何処かへと誘おうとするものがやってくる。
それが何か、俺に分かるわけがなくて。
それに抗う術を持っている訳もなくて。


…エドワード…、



母さんの俺を起こそうとする声が聞こえるのに、瞼がとろんと重くなっていく。
もう目は開けていられなかった。


―――ご、めん……もう、少し……


もう少しだけでいいから。
もう少しだけ、何も考えずに。


―――眠ら、せて―――


そう言った俺を、今度は闇が包んだ。
その闇が一体何なのか。
眠気を誘ったのは何だったのか。
もう俺に、考えられるわけがなかった。




叙情詩 13話






「……はぁ…、」


日も傾いて辺りを橙色に包み始めた夕方。
アルフォンスは大きくため息を吐いて、列車から鎧の体を下ろした。
駅員が数回に渡り、駅の名を言っている。


「リゼンブール、リゼンブール〜。次は〜」
「……、」


駅の名は聞き慣れた村の名と一緒、そう思うとアルフォンスはまたため息を吐き、心の中で言葉を発した。


(…戻ってくる、つもりはなかったのに…)


なのに戻ってきてしまった自分を悔いた。
また振り出しに戻ってしまったのだと。
一週間前に飛び出した、此処に。


「……とりあえず、一晩ばっちゃんの所に世話になろうかな…」


此処に帰ってきた時は、必ずばっちゃんの所に泊まらせてもらうのが習慣だった。
僕は野宿でも平気だけど、兄さんは。
帰ってくる度に、少し申し訳なさそうにばっちゃんの好意を断ろうとするけど、いつも僕が泊まっていこうと押し切っていた。
だって兄さんを冷たい夜風に晒したくはなかったから。


(今は、傍に居ないけど…)


兄さんは目を覚ましたかな。
もう、大丈夫かな。
もしかしたら、僕はもう父さんを探している意味なんてないのかもしれない。
目を覚ましたのならそれでいいんだから。


(でも、気になるんだ)


母さんが兄さんに言ったこと。
そして母さんと兄さんに繋がっているだろうこと。
…力の、こと。
もし。
兄さんがまだ目を覚ましていなくて、その力が兄さんが目を覚ます力になるのなら、僕はやっぱり父さんを探し出さなきゃならない。
例え結果として、結局それが兄さんの力になれないとしても。
それでも、僕は知りたい。
だって、兄さんにだけ背負わせたくないから。
少しでも、分かち合いたいから。
兄さんが―――大好き、だから。











「…ばっちゃん、」
「っアルかい?」


ゆっくりと玄関の戸を開けて、奥の方で作業しているピナコに申し訳なく声を掛けた。
それに驚いたように顔を上げて、ピナコはアルフォンスの名を呼んだ。


「全く何だい、急に出てったと思ったら急に帰ってきて…」


呆れて言いながらも、入っておいで、と続けた声には少し安堵が混じっていた。


「それで?父親は見付かったのかい?」
「……、」


いきなり確信を突かれ、頭を振って無言で否定を示すと。


「そんなこったろうと思ったよ…」
「…手掛かりすら、掴めなかった、」
「そりゃそうだろうね」
「…?」


悔しそうに吐いたアルフォンスを他所に、何処か余裕がある言い方を含んでピナコは言った。
それに気付いたアルフォンスがピナコを見る。


「でもま、今このタイミングで帰ってきたのは正解だったね」
「え…」


その、言葉の意味は。


「……帰ってきてるよ、」
「…っ!」


誰、と言わずとも分かる。
父が、ホーエンハイムが、帰ってきている。


「っ何処!?今父さんは何処に!?」


今まで必死に探していたのだから、感情が高ぶるのは無理もない。
自分でも驚く位に、声を荒げていた。


「っ落ち着きな!ホーエンハイムだって来たばかりだから直ぐ発ちゃしないさ!」
「ぁ…、」


アルフォンスは普段おっとりとした性格な分、一度感情が高ぶると自分で止められない部分がある。
それは以前エドワードからも指摘されたことで、ピナコ曰くそうなるとエドワードより性質が悪いらしい。
全く自覚がないから、少し厄介だと。


「…ごめん…、」


でも今まで大事になったことは一度もなかった。
それはいつもエドワードが傍に居たからで。
けどエドワードは今、傍に居ない。
ピナコが居るとはいえ、自分で抑えなければ。


「落ち着かないと、話も出来ないのにね…」


ただ突っ走るだけではいけない。
今大事なのはちゃんと話を聞かなければならないという冷静さなのだ。


「……トリシャの墓に、行ってるよ」
「え…」


顔を上げると、ポンと鎧を叩いて。


「落ち着いたんなら、アルも行ってみるといい」


ここじゃ、話し辛いことだろうからね。
そう言って、僕を見送ってくれた。











「……ぁ…、」


母さんの墓の前に佇む人影。
僕はよく覚えていないけど、それでも何処か懐かしい雰囲気があった。


「…父、さん…」


ガシャ、と歩めた足が音を立てたと同時に小さく呼んだ。
僕たち以外に誰も居ないここでは、小さな声も離れた父さんには届いたんだろう。
父さんはゆっくりとした動作で振り返って。


「……アル…か…?」


少し驚いた目を眼鏡のレンズ越しに見た。
でもそれは直ぐに穏やかなものに変わった。
僕はやっぱり知らないけど、ずっと前に、その瞳を知っていた気がする。
その瞳は僕を見ただけで、僕だと分かってくれた。
不思議な人だと、実の父ながら思った。
事実僕や兄さんより錬金術の知識があるんだから、僕の体がどうなっているのか、見ただけで分かるんだろうけど。


「……久しぶり、です、」


けど戸惑いがないわけじゃない。
だから言葉が上手く出ないのかもしれない。
体のラインは出てないけど、何処か強張っている僕の様子を父さんは見抜いたのか。


「そんなに緊張されると、こっちもどう接していいのか分からないよ」
「ぁ…、」


口調は穏やかだったけど、僕に感化されていたのか父さんにも微かに緊張した様子が感じられた。


「…えと、すいません、」
「はは、謝られるのもなぁ」
「え、あ」


ゆったりとした雰囲気に、益々どうしていいのか分からない。
これじゃ本題にどうやって入ったらいいのか。
そう考えあぐねていると。


―――聞きに、来たんだろう?」
「ぇ…」
「トリシャ――お前の、母さんのことを…」


ばっちゃんから聞いたのか分からないけど、父さんが切り出した。
そう言い出した目は、先ほどとは違って少し、悲しみが混じっていた。
そして。


―――やはり、運命には逆らえないのか…」


僕から目を背けて、小さく呟いた。








―――トリシャには、お前の思っている通り不思議な力があった」


ホーエンハイムが少しの沈黙の後話し始めた言葉にアルフォンスは頷くこともせず、ただ話を聞く。


「トリシャの家系には、代々その力が受け継がれてきたらしい」


その力は、一世代前が亡くなると次の世代に受け継がれる。
そして決まって、男女問わず第一子に。


(…!)


それが、兄さん。
アルフォンスははっと父を見張るが、それでも遮る声は発しなかった。


「だが知らないうちは受け継がれたとしても、自覚することがなければはっきりとは覚醒しない」


だから気付かなければ、もしかすれば知らぬまま次の世代に受け継がれる。


「……トリシャは、それを望んでいた」


例えエドワードの子供達が苦しむことになっても、エドワードが何も知らないのならそれでいいと。


「無責任だと自分を卑下していたが、それでもトリシャはエドワードが大切だったんだ」


自分の命が、長くないことを知っていたから。


「…っ、」
「きっとエドワードの子供を見ることは叶わない、そしてエドワードが成長する姿を見ることは叶わない、と」
「…そん、な」


母さんは自分が長く生きられないことを知っていた。
どうして知っていたのか、それが信じられなくてアルフォンスは口を開いたが、それを遮るように。


「この力は…」


ホーエンハイムが低い声を発する。


「ある特定の人と能力を受け継いだ者の未来を、垣間見る力…」


トリシャ達一族は、それを"夢見"と呼んだ。


「…!」


その単語はアルフォンスが無意識に呟いた言葉と同じものだった。
ようやく、繋がった気がした。
曖昧な、記憶が。
だがそれだけでは納得できない点もある。


「…?」


でも、そうすると兄さんはその力を自覚しているということになる。
しかし暫く会わなかったからその間に自覚しているとも考えられる。
それでも、引っ掛かるものがあった。
だって兄さんは。


―――兄さんは、母さんのことを思い出してはいなかった」
「…っ、」


途端、父の顔が顰められ。


「夢を見たって、それだけしか、」
「その力を」


辛そうに、言葉が紡がれる。


「…"夢見"の力を目覚めさせるには、もう一つ、要因がある」


"夢見"の力を目覚めさせる要因は、一つではない。


「自覚はせずとも、誰かを愛してしまえば―――目覚めて、しまう」
「…!」


そう、か。
じゃあ、兄さんは。


(やっぱり…)


何処かで、そんな予感はしていた。
だから、分かっていたのに。
改めて一人で全部背負い込んだ兄さんを思うと、とても。
辛かった。
そんな心情を悟ったんだろう。
父さんはその後暫く何も言わず、僕が落ち着くまで待ってくれていた。


待ってくれていたのは、まだ話が終わっていなかったからで。
それを僕は聞かなければならなかった。
そして、それを伝えなければならなかった。


誰よりも、兄さんを待っている人に。








next→


05/11/28
ここがこんなに長くなるとは思わなかった…。
でもここまできたらあとちょっと。


ブラウザでお戻り下さい。