瞼の裏からでも、朝日が差し込んでくるのが分かる。
ゆっくりと目を開ければ白い天井が目に入って、私が今どういう状況かを知る。
身じろぎしようとすれば脇腹に違和感があることに気付き、動かすことをやめた。

まだ前線で戦っていた時、何度かこういうことがあった。
目が覚めて、自分は病院に運ばれたと気付いて、そして生があることに安堵する。
自分はまだ、過ちを背負いながら生きていけるんだと。

指を一度鳴らすだけで、自分はどれくらい人の命を絶っただろう。
その強大な力を持った自分が恐ろしくて、打ち鳴らすのを何度も躊躇った。
だが躊躇いは命令に容易く折られ、何度も打ち鳴らすのを余儀なくされた。

ならば自分が死ねば、自分は命を奪う必要はなくなるのではないか?
そう、思ったこともある。
しかし絶った命が戻ってくるわけではない。
それは自分が死んでも生きていても、変わることのないこと。
ならば私は、その不変の輪廻を背負って生きるしかない。
過ちと罪を背負い、罪悪感に苛まれながらも生きること。
それしか、今の私にはできない。

だから、傷を負って病院で目を覚ます度。
ああまだ生きていられると。
自分はまだ罪という生に縋りながら、生きていられるんだと。
以前は、そうだった。
だが今回は何故か。


――――鋼の…」


太陽の光を映したような、眩しい金髪。
それが私に、喜びを与えてくれた。
もう一度君に手を伸ばすことができる、喜びを。




叙情詩 8話






「…大、佐…」


私が目覚めたことに気付いたエドワードとの視線が交わる。
安堵の息と共に呼ばれた名前には、それ以外のものも含まれていた。


「…どうした…?」


何故、そんな悲しそうな顔をするのか。
どうして純粋な笑顔を見せてくれないのか。


「…何故、泣きそうな顔をする?」


金髪に向かって伸ばした手を、エドワードは避けるように体を退いて。


「…泣いてなんか、ねェよ…」


呟いて視線を逸らすのは、私の問いを肯定しているようなもの。
エドワード自身は分かっていないようだが、人の純粋な部分の感情ほど隠すことができない。
事実泣いてはいないが。


「…私は泣きそうな顔、と言ったんだ」
「っ、」


返す言葉に詰らせて、横髪で表情を隠すように俯いた。
それから身じろぐ様子も見せず、ただ沈黙が流れる。


―――目を、覚まして…最初に目に入ったのが君だということは、純粋に嬉しかった…」


だがそんな泣きそうな顔を見せられると。


「…目を、覚まさない方が良かったのではないかと思ってしまう」
「っ違、」
「では何故?」


決して追い討ちをかけるわけではない。
勿論怒っているわけでも、悲しいわけでも。
ただ、聞きたいんだ。


「…何故君が、そこまで思い詰めなければならない…?」


そんな表情をさせる理由を。


「…っ思い詰めも、するだろ…っ」


ぎゅ、と拳に力を込め、肩が上がるのに気付いた。


「俺が、大佐をこんな目に遭わせた事実は消せないんだ…!」


そして声を最小限に抑えるようにして、吐き出す。
今エドワードを締め付けているものを。


「…悪かった、ごめん、じゃ済まされない」


俺は命を奪おうとした。


「だから意識が戻って、素直に良かった、なんて口にも出来ない」


俺に喜ぶことは許されない。


「…っ笑うことなんて許され、」


許されない、その言葉が最後まで病室に響くことはなかった。


「……何で…」


私が口元に手を翳して、それを制したからだ。
エドワードは困惑の表情を私に向ける。


「許す許さないを決めるのは、君ではない」


私だ。
そう言って微笑みを返せば益々悲しそうな顔をして、もう一度何で、と吐く。
その問いに私は答えず。


「…おそらく君が自分をそれほどまで追い詰めるのは…私が床に伏せっている以外にも理由がある―――違うか…?」
「っ、」


逆に問うと、エドワードの体が小さく跳ねた。
向けられた瞳は、変わらず困惑に揺れている。
そこに含まれた疑問に答えるように。


「…君は、この程度のことでは沈んだりしないからな」


そう、だからきっと他に理由がある。
私に負い目があることも事実だろうが、それ以上に真実は深いところにあると。


「……俺…」


吐き出した一人称の後に何が続くか、はっきりとは分からなかったが。


「…言えるようになったら、言ってくれたらいい」


無理矢理聞き出したところで私の気分が良くない。
かと言って、気にならないわけがないから聞きたいと思う部分もある。
だが今のエドワードに言わせるのも、言ってもらうのも酷なことだとは思ったから、遮った。
何より。


「…私は、生きているからな…」










「……、」


話すことができないのにありがとう、と言うのはおかしい。
話すことが出来ないかもしれないのに分かった、と言うのもおかしい。
だから俺は頷いて返すことしか出来なかった。
他に何も、言えなかった。
こんな時でも大佐は鋭くて、確実に俺楽な方へと導こうとしてくれていて。
言えれば、楽になるんだと思う。
言えないって苦しむこともなくなって、俺は大佐に縋れるんだと思う。
何よりそれを、大佐が許してくれるんだと思う。


(けど…それじゃ駄目なんだよ…)


俺は楽になるかもしれない。
苦しむこともなくなるかもしれないし、大佐に縋れるかもしれない。
けど、大佐は?
大佐はどうなる?
大佐の導いてくれるがままに、言ってしまったら。
今度は大佐に背負わせてしまうことになる。
そんなの、嫌だ。


(こんな苦しみ、俺だけで十分なんだ…っ)


大佐は何も知らなくていい。
こんな恐怖に怯えて、恐れて。
こんな思いをするのは俺だけでいい。
俺はアンタに苦しみを与える為に受け入れたわけじゃない。


「……まだ、寝てた方がいい…」


けどこの先、傍に居たら確実に背負わせてしまうことになる。


「…あぁ、すまないが…そうさせてもらう…」


大佐はゆっくり目を閉じ、体の力を抜いて。


「…次に目が覚めた時…」
「ぇ…?」


既に眠りの世界へと落ちている途中なのか、うわ言のように。


「…君はまた、そこに居てくれ…」


穏やかな顔で小さく言った。


「…、」


おそらく大佐は、俺の全部を受け入れてくれる。
だからこそ、俺はこのままじゃいけない。
このまま、大佐の傍に居ることは。


「…あぁ……居るよ―――


許され、ない。

















―――、」


何かに気付いたわけでもないが、ふと目を覚ました。
物音がしたわけでもない。
ただ何故か、起きなければいけない気がした。
と、首を回して先ほどまで傍に座っていたはずの姿を探す。
金髪、赤いコート。
どちらも室内には見当たらない。


「鋼の…?」


名を呼んでも帰ってくるはずがないのは分かっているが、呼ばずにはいられなかった。
何故ならさっき、私は確かに言ったんだ。
次に目が覚めた時、またそこに居てくれと。
そして確かに居るよ、と。
声を聴いたのに。


「……、」


何だ、この引っ掛かるものは。
一体、何が。
と、予告もなしに病室のドアが開く。


「っ大佐、起きてらしたんですか」
「中尉…」


期待をしてはいなかった。
だが何故、私は期待をしなかったのだろう。
まるで、エドワードが。


「顔色も宜しいようですし、心配は不要でしたでしょうか」
「…中尉」
「はい」
「鋼の、は?」


二つ名を呼べば、胸がざわめき。


「エドワード君ですか?一端荷物のある大佐のご自宅へ戻ると言ってましたが…」
「…っ」


それは床から体を起き上がらせるほどの衝動にまで達した。


「っ大佐!?何を!」


制するように中尉が駆け寄ってくるが、それは手を翳して無言で逆に制した。
顔色が良いと言っても、つい一日前までは危篤状態に近いほどまでに行った体、床に足を着けて立ったところで、右脇腹を押さえ前傾姿勢になることは避けられない。
それでも行動範囲を制限する点滴を抜き、何とか足を踏み出す。


「大佐…、」


制したため動けない中尉に、済まない、とだけ呟いて私は病室を出た。
馬鹿なことをしているのは分かっている。
無駄な心配を掛けることも。
だが今、歩かなければ私は一生後悔をするだろう。

エドワードがもし、このまま戻ってこなかったら。

もしこれが当たっているならば、私は向かわなければならない。
この手から消えてしまいそうなものを、再び抱きしめる為に。














―――


太陽が真上に近くなった頃。
俺はイーストシティの駅で、列車を待っていた。
来たら何時でも乗り込めるように、トランクは下に置くこともなく握ったまま。
そして何処を見るわけでもなく、視線を漂わせる。

黙って行くことを大佐は怒るだろうか、悲しむだろうか。
この際、どちらだっていい。
どんな感情にしろ、確実に俺に向けられているのなら、それで。


「…生きているのなら、それで―――


死を恐れることは恥じなくていいと、俺は思う。
死への恐怖があるからこそ人は生きようとし、人は生かそうとする。
アイツと、俺のように。


「…それで、いい…」


シュシュ、と蒸気の吐く音が近くなってきた。
俺は取っ手を握り直し、目の前を通り速度を緩める列車の先頭を見詰めながら、止まるのを待った。
と、乗り込もうとする直前。
蒸気と列車の走る音に掻き消されて俺は気付かなかった。


――――っ、」


後ろから、抱きしめられるまで。


「…っ、…っ、」


ゴトン、とトランクを落とした。
荒い息が首に掛かっている。
これは走って荒くなったんじゃない。
暫く絶対安静の体を無理矢理動かしたから、悲鳴を上げてるんだ。
そんな体、力任せに押し返せるわけがない。


「……っ離せ、よ…」


緩い拒絶しか出来ない俺の言葉は。


「駄目だ」


必死な大佐に通じるわけがなく、抱きしめられたまま動けない。
けど体に障るから振り解けないだけじゃなくて、この体にしてこの力の強さ。
一体、何処からこんな力が出ているのだろう。
有無を言わせない、実力行使。
それにはまって暫く動けない状態が続いた俺を、列車のベルが急かす。
俺は乗らなければいけない。


「…っ離せって…!」
「行かせない!」
「っ!」


益々力の入る腕から結局逃れることは出来ず、無常にも列車は動き出してしまった。


「……っんで…っ!」
「それはこっちの台詞だ!」


声を絞り出して離してくれなかった理由を問えば、拘束していた両手を解き、俺の左手を掴んで振り向かせる。


「っ、」


大佐の額には汗が浮かんでいて、辛そうな表情が今の体の状態を物語っている。
きっと立っているのが不思議なくらいなはずだ。


「何故何も言わずに行こうとした?何故私の傍から去ろうとする?」
「…、」


必死な声。
切実な感情が伝わってくる。
けど、俺はそれに答えられない。
押し黙ることしか出来ない。


―――今度は君が、答えてくれないんだな…」


この間まで、まるで立場が逆だった。
俺が聞いても大佐は答えてくれなくて、何度聞いても答えてくれなくて。
結局俺は折れるしかなかったけど、大佐は。


「……原因は、私にあるとは分かっている」
「…、」
「だが言っただろう?許す許さないを決めるのは君じゃないと」


ずるい。


「私は、私の意志で君を助けた。君が罪悪感を背負うことはない」


ずるいよ、アンタ。
だって全部分かってんだからさ。


「それでも背負うというのなら、私はその君ごと、受け入れるだけだ。だから…」


そんなこと言われたら。


「…違う…」


言わないわけにはいかねェじゃん。


「違う、んだ…」
「…鋼の…?」


頑なだった俺の態度が萎れると、掴まれていた腕への力が弱まった。


「怖いんだよ…」
「…?」
「夢が現実になってくのが、怖いんだ…っ」


怖くて。


―――少し前……大佐が、死ぬ夢を、見た…」
「…な…」


現実に夢が溢れてくるのが怖くて。


「だから俺、大佐が撃たれた時、夢が現実になったんだって、思って」


現実で夢の映像を見るのが怖くて。


「何も出来なかった…」


俺は確実に弱くなった。
夢に怯えて体が動かなくて、撃った相手に対抗する気力もなくて。
何も出来なかった自分が悔しかった。
弱くなった自分が悔しかった。


「何時の間に俺…こんなに弱くなっちまったんだ…?」


昔も死を恐れていないわけじゃなかった。
それでも目的の為になら、弟の為にならと命を張ったことはあった。
でももう、きっとそれすら怖い。
失うのが、怖い。


「っアンタの傍にいたら、俺、駄目になる…!」


このままじゃ大切なものを、大切な人を守ることなんてできない。
ただ足を引き摺るだけしかできない。


「アンタも俺も、駄目になるんだよ…っ!」


やっと、吐き出すことができた言葉。
言うつもりはなかったけど、こうでもしなきゃ俺を行かせてくれはしないから。
頼むよ。
頼むからもう、俺を。


「…それだけか?」


包み込まないで。


「見た夢が正夢になったから。それが恐怖を生んで、何も出来なかったから。それで弱くなったと知ってしまったから自分が駄目になり、私も駄目になると」


俺のたどたどしい言葉を簡潔にまとめて言うと。


「…君の言いたいことは、全部君しかないんだな」
「…?」
「君の言い分の中に、私は入っていたか?」
「…どういう、」


何が言いたいのか、何を言おうとしているのか。


「君の言葉は全部君の言い訳だ」


その中に、私の想いはあるのか?


「…!」


目を見開く俺に、尚も続ける。


「私は君に傍に居て欲しいと言った。それは少しも、伝わっていなかったのか?」
「ぁ…、」


俺は、俺のことしか考えてなかった。
俺の感情を全部大佐に押し付けてただけで。
それを尤もな理由をつけて、正当化して逃げようとしてたんだ。


「……自分を、押し付けるだけでは駄目なんだよ…」


自分が居て、相手が居て。
それでようやく成り立つ感情。


「この感情は、一方的なものではないだろう?」


互いが互いを想い合うからこそ、成り立つもの。


「…私からだけでも、君からだけでも、駄目なんだ」


想い合うということを知ってほしい。
そう、大佐は言った。


「…そうすれば、自ずと…本当の想いが見えてくるだろう?」
「…俺、…」


自分の事と、大佐のことと。
自分が大佐をどう想ってるか。
大佐が自分をどう想ってくれてるか。


「理由じゃない、本当の君の、願いが」


俺は、縋りたい。
大佐に縋って、受け入れてもらいたい。
そして。


―――っ傍に、居たい…っ!」


怖くても、それでも傍に。
居たい。








矛盾してるけど、それが俺の本当の想い。
恐怖は消えないけど、消えないからこそ傍に居たい。
例えその恐怖が再び現実のものになるとしても。

だってまだ。
あの夢は現実になっていないのだから。








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05/09/29
中間疾走くらいです。


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