ありがとう、と。
別れの言葉ではなく、ありがとうという言葉を伝えてから、どのくらい経っただろう。
あれから。
俺はイタリアの専門研究室に移って研究を続けた。
一心不乱、と周りから言われるほど研究に没頭して、尚且つ周りで十何年と研究を続けてきた人たちを蹴落として実績を上げている俺は、色んな奴らから妬みを買っていた。
何度となく、邪魔もされた。
それでも俺はそれに何を言うことなく研究を続けた。
元の世界に帰るために。
皆と再び逢うために。
けどもう一つ。
何度となく頭の中に出てくる、ミュンヘンにいるロイを、思い出さないために。
忘れるなんてことはできないから、せめて思い出さないように、という理由が、そのときは正直一番大きかったかもしれない。
だって、ミュンヘンとイタリアは遠い距離ではないんだから。
思い出して、会いたくなって。
それで汽車に飛び乗ってしまったら、あの時分かれた意味がないんだ。
あの時涙した意味がなくなるんだ。
ここは、俺が今一番会いたい奴のいる世界じゃない。
だからあの頃、旅をしていた時のように気軽に汽車になんて乗っちゃいけない。
会いに行っちゃいけない。


けれどもふと思い出す。
あの時、自分は何故さようなら、ではなくありがとう、と言ったのか。
今だ、その理由は分からないけど。
多分、さよならと言ってしまったら、終わってしまうと思ったからじゃないかと、今は思う。
何が終わるのか、それは漠然としているもので、一概には言えない。
けど、これが最後だなんて思いたくなくて。
きっとまたどこかで、会えるんじゃないかって。
繋がっているんじゃないかって。
そう、思いたかったから。
無意識に出たありがとう、は。
アイツはどんな意味でとったんだろう。
今まで世話をかけて?
一緒に居られなくて?
もし。
もし、あの時ロイもさよなら、と言わなかったことに意味があるのなら。
俺は、きっと何処かで繋がってるんだって思いたい。


その繋がりを信じて。
込み上げてくるその思いをかき消すように、研究を続けて。
続けて。


続けて。





違う色の空の下 最終話







(…あれ、それから、)


どうしたんだっけ。
変だな、思い出せない。
それに体が。
凄く、重い。


(何でだろ…)


閉じている瞼も、重くて開かない。
と。
光を、感じた。
瞼の閉じている状態でも分かる光を。


(………、)


花の香りも、心地よく感じる。
多分、周りいっぱいに綺麗な花が咲いているんだろう。
そう思って、ゆっくりと、目を開けた。


(…まぶし…ぃ…)


心地よい暖かさと共に、日差しが俺を照らしている。
右手を上げて太陽の光を遮って周りを見れば、名前は分かんねェけど、やっぱり綺麗な黄色い花が沢山咲いていた。


(…ぁ、れ…)


右手が、肌色をしていた。
それは義手の色だった肌色じゃなくて。
普通の人たちが生まれて持っている、肌色だった。
だから俺は単純に夢だと思った。


―――夢を、見ていた」


夢だと思ったから、この声も夢の中で言っているんだと思った。


「君が扉の向こうへ行ってから…一年以上、同じ夢を見ていた」


(この声…ロイか…)


「夢の中で、君はずっと私を避けて、私から顔を背けて、見せてくれようとはしなかった」


見せてくれても、辛そうな表情ばかりで。


「私も、辛かった…」


(…あー、あの頃…)


あの頃は、俺も辛い時期だった。
自分との葛藤に必死で、余裕がなくて。


「だから私が痺れを切らして言ってしまえば、泣いて突っぱねて、君はもっと距離を置くようになって…」


そんなこともあった。
いきなりキスしてきて、代わりになるとか言ってきて。


「でも…現実の私はどうすることもできなくて…」


(…え…?)


何処か、違った。
俺が思っていることと、何処かが。


「一時、私の所為で沈む君を見たくなくて、夢なんて見たくないとさえ願った」


けど、不思議と、夢は見てしまう。


「無意識に、それでも君に逢いたいと願ってしまって」


そんな時、あれは資料室だっただろうか。
うずくまる君に、話がしたいと切り出したのは。
そして何も言わずに聞いてくれるか、と君が言ってきたのは。


「驚いたよ…」


夢の中で、君が私のことを、"私"に話していたのには。


(やっぱり、違う…)


「信じる、とお伽話のような話を信じた"私"自身にも、ね」


そこが、私と違う部分だと思った。
私は、そんな確証性のない話なんて信じないのに。


「…だが、君が存在することが、何よりの真実だと"私"が言っていたのを聞いて、夢の中の"私"の方が正しいんだと、知った」


(まるで…)


―――代わりになる、と…」


言い続ける私に、君はようやく本心を見せてくれた。
背中に手を、回してくれた。


「しかしそれも長くは続かなくて…直ぐに、別れがやってきた…」


――まるで…)


「けど、君はさようなら、とは言わなかった」


ありがとう、と。
微笑んでくれて。


「久方振りに、君の笑顔を見れた」


嬉しかった。
幸せだった。
それだけで、生きていけると思った。


「…あの瞬間だけ、あの世界の"私"に向けられた笑顔だったんだな…」


(まるで、ミュンヘンに居たロイと逆のことのように…)


「だがそれから昨日まで、空白があって…」


君と私が離れた所為か、夢が見れなくなって。
でも昨日。
また夢を見たんだ。


(え…)


「それは今のように…私が、花の中で眠っている君に、こうして、夢を見ていたことを話している夢だった」


(今…?)


一気に、覚醒した。
体ももう重くなくて、ばっと体を起こして。
前を向いて。
目の前に立っている人を見上げると。
目の前に立っている人も、俺を見て。


「…繋がっていたよ」


エドワード。
と、俺の名前を呼んで。


「ずっと、君の傍に居たよ」


ずっと、一緒に居たよ。


「…っ…」


俺も名前を呼びたいのに。


「ありがとう…」
「…っ、」


声が、出ない。
涙だけが溢れて、声が掠れて。
青い空に立つロイの姿が滲んで。


「帰って来てくれて、ありがとう、エド」
「…ロ…、ィ…」


ようやく絞り出した声は、小さ過ぎて届かなくて。
と。
手を、広げられて。


「お帰り、エドワード」


おいで、と。
何も言わないでいいから、おいで、と言ってくれているようで。


―――っ!」


立ち上がって、二歩の距離を歩かずに、俺は飛び込んだ。
思わず勢いでロイを押し倒してしまったけれど。
それでも構わず、俺は胸に顔を埋めた。


「…お帰り」


ロイは優しく髪を撫でてくれた。
懐かしい、仕草で。
涙がもっと湧き出てきて。
言いたいことは沢山あるのに。
本当に、もう何も言えなくて。


(…なぁ、見てるかな、)


心の中で、聞いた。
向こうの世界にいる、もう一人のロイに。


(なぁ、アンタも、この世界の夢を、みてるのかな)


繋がってた。
繋がってたよ。
確かに、繋がってた。


(また、逢えただろ?)


たとえそれは夢の中でも。
現実ではなくとも。
繋がっているんだから。


(俺、微笑ってるだろ?)


きっともう、アンタには逢えない。
けど。
けど、俺たちがミュンヘンというところに存在していたことは何よりの真実。
辛かった、悲しかった日々も。
キスを、した日も。
共にその日を生きたことは、本当だから。








ミュンヘンの空の色は違うけど。
きっと、この世界と同じ色が見付かると思うから。
見つけて欲しい。
そしてアンタにも見て欲しい。
青い青い、澄んだ空を。





なぁ、この笑顔、届いたかな。
違う色の空の下に生きる、アンタに。





END.


05/05/10
後書き。