研究室の自分の机に置かれたメモを、椅子の背もたれに体重を預けてただずっと見詰めていると。
「…見送りに、行かないのか?」
聞き慣れた声が後ろから聞こえた。
振り向かなくとも誰かは分かった。
だから返事もせず名前も呼ばず、沈黙を続けた。
「…お前だけに、来てくれって言ってんだろ、アイツ」
アーサーにはこのメモが、エドワードが残したものだと分かっているらしい。
そしてこれに汽車の発車時刻が書いてあることも。
言わずとも分かっているのなら、一々言わなくてもいいんじゃないか。
そう思ったが、口から出た言葉は。
「……分かっている」
アーサーの言葉に素直に答えたものだった。
「…分かっているさ…」
「じゃあ何で」
即答された声は、納得する理由を答えなければ何度でも聞くと言わんばかりの音で。
少しの沈黙を置いてロイは。
「…行ったら、」
抑えが効かなくなる。
小さな声で吐き出し始める。
「――漸く、繋がったんだ…」
漸く私の方を見てくれたんだ。
ずっと抑えていた感情をやっと私にぶつけてくれて、話してくれて。
向かい合ってくれて。
それなのに。
「――何故、こんなにも直ぐに離れていってしまうんだ…!」
悲痛な叫びが、口から勝手に出て行く。
一年以上かけて繋げたものを、こんなにも容易く切り落とした奴を恨んでしまいたかった。
たった一分。
たったそれだけの間しか、エドワードはこの腕の中に納まってくれなかった。
「…でもお前に止める権利はない…か…」
アーサーの言葉が痛い。
そうだ。
私にエドワードの夢を止める権利などない。
研究を続けて、ただ元の世界に帰りたい一心で続けていたことを。
何より、エドワードが望んでいることを、今更誰にも止められるわけがない。
無論私にとて。
「…だが引き止めたい」
無理矢理にでも引き止めたい。
話せと言っても、嫌だと言っても、掴んだ腕を離したくない。
エドワードを、離したくない。
「こんな我が侭を言いに、行けると思うのか?」
顔を上げてアーサーに言った。
おそらく、情けない顔をしているだろう。
いつの間に、こんな顔をするようになったのか。
何事にも余裕で、自分を高く見せて、弱い顔など縁がなかった私が。
それほど、エドワードの存在が大きくなっていた。
背中を押してやりたい思いと、離したくない想いと。
その葛藤の答えを乞うように、アーサーの声を待った。
と。
「…だったら、尚更行くべきだな」
返された言葉は、予想外のもので。
「同じことで、アイツはお前以上に苦しんでたんじゃないのか?」
「…!」
「お前よりずっと長い間、苦しんでたんじゃないのか?」
そう、なのか?
エドワード。
君はずっと苦しんでいたのか?
私が、君の想い人に似ているから?
私と、向こうの"私"の間で。
ずっと。
「お前はもっと苦しまなきゃなんねェんだよ」
苦しんで、悩んで。
それで答えを出せ。
アイツみたいにな。
「…俺に聞いたって、答えは出ない」
だから行ってこいよ、とアーサーは笑った。
それは今までで一番頼もしい笑顔で。
「…あぁ」
椅子から立って、走る力を貰った。
走れば、ここから駅まで二十分近く。
エドワードの乗る汽車が出るまであと二十分程。
二十分息を切らして走って、その間に考えて、苦しんで。
(…こんなに忙しいのは初めてだ)
けどそう思った心は裏腹に、いやにすっきりとしていた。
悩めばいい。
苦しめばいい。
そうやって人は生きるものだと、今知った。
だから私は走る。
悩む為に、苦しむ為に。
そうやって答えを出す為に。
後悔は、後から悔いるから後悔という。
「…後悔は、お前にゃ似合わねェよ」
走るロイを、研究室の窓から見下ろしながらアーサーは呟いた。
「だから玉砕してこいよ、さっぱりとな」
お前らしく、な。
違う色の空の下 6
「―――」
汽車の乗車口で、壁に背中を預けて空を見ていた。
空の色は、やっぱり灰色で。
懐かしいあの真っ青な空を心の中に思い浮かべて、俺は目を閉じた。
(…青い空が、近くなるっつうのに…)
どうしてこんなに、悲しいのか。
あの青い空をもう一度見るために、研究を頑張ってそれが認められて、帰れる道が見えてきたっていうのに。
どうして。
「…あんな紙切れ、残して来ちまったからかな…」
女々しくも、この汽車の発車時間を書いた紙切れを。
別に、見送って欲しいとか思ったわけじゃない。
ただ。
(…もう少し、声が聞きたかったんだ…)
一昨日。
昼休みが終わって、資料室を何も言わずに俺が出て行ってから、お互い何も言葉を交わさなかった。
それどころか俺は異動の準備で、アイツは研究で、顔を合わせることもなくなってしまって。
だから最後に。
「声を聞きたいと思った…」
きっともう二度と。
「会うことはないんだから…」
そう呟いて、目をゆっくりと開けた刹那。
「っ私も!」
「っ!?」
想っていた人物が、乗車口を塞ぐようにして身をこちら側に乗り出させて、俺に言った。
「私も、声が、聞きたいと思った…っ」
「な、アンタ…、」
来ないと思ってた。
絶対に来ないようにと、俺はわざわざ時間を書いたのに。
女々しくも、声が聞きたいと思った。
けど、声なんか聞いたら絶対に離れらんなくなるから。
どうしてそれを悟ってくれないんだ。
「…っ何で来るンだよ…!」
それでも、来てくれた喜びに。
声を聞けた嬉しさに、涙は溢れて頬を伝う。
「…、すま、ない…、」
息が切れている。
それは走って来てくれた証拠で、益々俺を喜ばせて。
「んで…っ」
それが益々俺を掻き立ててしまう。
必死に抑える身にもなれよ。
「っ抱きついて、縋りたい身にもなれよっ!」
「分かっている、」
「分かってねェ!」
「分かっている!」
「っ、」
返された大声に、俺は言葉を詰まらせた。
「君が…苦しんでいること、悩んでいることは、分かっている…」
それでも。
「君に、言いたい、ことが、あったから…、」
これが私が悩んでだ結果、出したことだった。
だが口にした途端、発車ベルが鳴る。
会話の終わりを告げる音が、俺たちにも聞こえる。
けどロイは続けた。
「私も、夢を見ていた…」
「ぇ…」
「君と会う前から、君の夢を見ていた」
夢の中の君は、まだ少し幼くて。
三つ編みに上下黒い服に、赤いコートを羽織って。
色んな表情を見せてくれて。
私を大佐、と呼んで。
何より。
「楽しそうに、笑っていた…」
汽車が、動き始める。
それに合わせてロイも歩いてついていく。
「だから私は、現実の君にも笑って欲しかったんだ」
それが君を苦しめる結果になるなんて、気付かないにも程があるというのに。
「ずっと黙っていてすまなかった、でも、」
ロイの歩調が速くなる。
「でも君には笑顔が似合うから、だか…」
だから笑って欲しい。
そう言おうとしたロイの言葉を塞ぐように、唇に触れるものが、あった。
それがエドワードの唇だと気付いた時にはもう離れていて。
「エド、」
「ありがとう」
離れた顔が、言った。
瞬間、私は目を見開いた。
ありがとう、ともう一度言って。
微笑んだ顔が、見えたから。
「…っ」
タン、とこれ以上走る場所がなくなり、足を止めた。
見間違いではないのなら、エドワードは確かに微笑ってくれた。
そして私の思い違いでないのなら。
あの言葉と微笑みは、私を通しての向こうの"私"ではなく。
今ここに、この世界に存在する私に向けられたもの。
「…エドワード」
呟いた声は、ミュンヘンの曇った空に消えていく。
「ありがとう…」
私こそ、ありがとう。
色んな感情を教えてくれて。
色んなものをくれて。
そして。
私を、見てくれて。
私と共に、この"今"を過ごしてくれて。
生きてくれて。
――――ありがとう。
私は後悔などしないよ。
君に出逢えたことは運命で、分かれることもまた運命で。
この運命という幸せを与えてくれたことを。
「…っ…、っ、」
走る汽車で起きる風が、髪をなびかせる。
エドワードは乗車口から今だ動かず、ただしゃがみ込んで、膝を抱えていた。
声にならない泣き声が、風に流されていく。
「…っ、」
ふと、一際強い風が流れ込んできた。
それが何故か顔を上げろと言っているように聞こえて、俺は顔を上げて外を見た。
「……何だ…」
ミュンヘンを抜けた先は、暫く広大な草原が広がると聞いていた。
その流れる草原の景色に映える、空があった。
「青いんだ…」
こっちの世界の空も、青いんだ。
それに気付くのは遅かったけど。
最後の最後で、大切なものに気付いたから。
「―――青いんだ…」
この世界の空の青さに。
また涙が、滲んだ。
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うわうわ、もう少し続きます…!
次…次で終わりなので…!
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