体を軋ませるほどに自分を抱きしめる腕に、私の腕を重ねた。
それは以前のように冷たいものではなく、血の通った、暖かなものだった。
そして私の上に重ねられた腕は、誰のものよりも温かい、君そのものだった。



月凪 最終話





エドは空を仰いだまま。
ロイはエドの肩口に顔を埋めたまま。
暫く、互いに言葉を発さず、今その瞬間を実感していた。
互いが互いの元へ帰ってきたのだということを。
でも、エドにはまだそれを素直に喜べないところがあった。
勿論、背中に感じる温もりを疑うわけではない。
そうではなく、エドにはまだ。
やらなければならないことが、あったから。


「……っ…、」


エドは頭を戻し、今度は俯き加減にロイの腕を外して、顔は見せないままロイに向き直った。


「…エド…?」


外したロイの腕は離さぬまま俯くエドに、ロイは優しく問いかける。
それはどうしたのかと促すものではなく、ただ本当に心配だったからで。
ロイの呼びかけをエドがどう取ったのかは分からず。
声は聞こえない。
だが一生懸命に言葉を発しようとする雰囲気だけは伝わってくる。
それが少し居た堪れなくて。


「……エド…」


無理して、喋らなくてもいいから。
気遣うように、それでいて優しくささやかれた言葉は、エドの中にまた沁みこんでいく。


「…っ」


今だ零れそうな涙を抑えて、エドは。


「……嬉しい、よ…?」


嬉しいんだ、ロイの気持ち。


「でも…」


でも俺はまだ。


「…まだ、アンタを…一番に、考えられないんだ…っ」


いつの間にか、ロイに縋るようにエドの手がロイの軍服を掴む。
その手は少し、震えていて。
そして震えるようにして発せられた、言葉。


「…アルを、」


この世界の何処かにいる弟。
世界で一番大事な弟。
その弟を、探し出すまでは。
見つけ出すまでは。


「…一番に、考えなきゃ…っ」


ロイは何も言わず、途切れ途切れに発せられる小さな声を聞き取るだけ。


「考えなきゃ、いけないのに……いけないのに…っ」


そう、誓ったのに。
差し伸べてくれるアンタの温かい手に。
縋ってしまいたいと思う感情が高まって。


「いやだ…」


アルを考えなければいけない自分が。


「いやだよ…」


アンタのことばっか考えて。
そんな自分が。


「やだよぉ…」
「…エド…」


俯いた顔からは、頬を伝わらずに涙が地面に落ちる。
それを遮るように、それを受け止めるように。
ふわりと。
今度は正面からエドを抱き込んだ。


「…それでいい…」


それでいいんだよ。
沢山悩んで、沢山答えを出して。
それを一つずつ確かめていけばいいんだから。


「最初から完全な答えを出せる人なんていない」


完全な答えを持っている人なんていない。
だから人は、自分に合う答えを見つけようと、生きるんだ。


「君や、私のように」


ふと、エドはロイの顔を見上げた。


「…アンタ、も…?」
「あぁ」


そう返された表情は、とても穏やかなもので。


「…私はそうやって…自分の為ではなく、誰かの為に生きる君が好きだよ」
「…ぇ」


いきなりの告白に、きっと俺は呆けた顔をしていただろう。
それでもロイは優しく笑ったまま。


「目を閉じて」
「え、」
「閉じて」


頬に手を添えて言われては閉じない訳にはいかず、了承も兼ねて、黙って言われた通りに目を閉じる。
途端に、頬にあった温もりが離れていって、エドは少し不安感に襲われたが、傍にロイが居ることには変わりない。
と、しゃら、と小さな音と共に、首に感じる、小さな違和感。


「…?」
「開けていいよ」


ゆっくりと目を開けて、違和感の感じた部分に視線を落とす。
そこには、細いチェーンにとおされたリングが一つ。
リングの中心には漆黒色の石が太陽の光に当てられて、より艶やかに輝いている。


「…こ、れ…」


見覚えがあった。
大きさは違えど、それは確かに以前俺が。


「そう、君が私に『さよなら』の言葉と共に、置いていったものだよ」
「ぁ…」


その時のことが一瞬、鮮明に蘇った。
もう三年も前のことなのに。
心が、軋んだ。
でも。


「……捨てようかと、思ったんだ」


何度も、何度も。
でも、捨てられなかった。


「記憶がなくても、きっと何処かで君と繋がっていたいと願っていたんだ」


だから、今度こそは。


「…ロ、イ…」


でも、ロイの声が。
いとも簡単に、思い出にしてくれる。
辛かった思いを。
感情を。


「だから今度は」


言いながら、ロイは詰襟を外し、首元を曝けると。
俺につけてくれたものと同じデザインのリングが、一つ。
違うのは、石の色が綺麗な琥珀色だということ。


「もう、離れないように」


そう、誓って。
目を閉じて、ロイはエドの胸に輝くリングに、口付けた。


「…っ、」


俺には、綺麗過ぎるものだった。
絵になるようなその仕草が、胸を締め付ける。
だって俺は。
今の俺にはまだ、困ることだから。
ロイの気持ちに応え切れないから。
俺もロイも、辛いだけだから。
繰り返される想いと葛藤が、俺を苦しめる。


「…でも、俺…っ!」
「分かってる」


そんな俺をそう言って抱きしめて。


「言っただろう?私は誰かの為に生きる君が好きだと」


だから君は君の思うままに生きればいい。
自分の思うままに、自分の願うままに。


「だが…私とて、良い人で終われる人間じゃない」


今度は俺が、ロイの言葉に耳を澄ます。


「君が居なければ、生きていけない人間だから」


君なしでは生きていけない、我侭で、傲慢で、強情で。
そんな人間だから。


「だから、何があっても私のところへ帰ってきてほしい」


また、以前のように旅に出てもいい。
弟を探す旅に出ても。
何も言わずに何処へ行ってもいい。
ただ願うのは。


「最後には必ず、私のところへ…私の此処に、帰ってきてほしい…」


此処に、と言ったとき、抱きしめられる腕が強くなったのが分かった。
それだけ切実に願っていてくれているのだと。


(…何処が、我侭なんだよ…)


たったそれだけのことのどこが?
とても小さなことなのに。
それでもいいのだと、この人は言ってくれる。
俺はそれに甘えてもいいの?
その手に、腕に、胸に、縋ってもいいの?


(…俺だって…)


アンタしか、いないのに。
最後に帰るのは、アンタのとこだけだって。
アンタの、此処だけだって。


「…うん、」


ロイの全てに応える意味を込めて、返事と一緒に、背中に腕を回した。


「うん…」


絶対、帰ってくるよ。


「…うん…」


だって、アンタは何時でも俺の傍にいるんだから。


「…ありがとう…」


私の傍にも、何時だって君がいる。
遠く離れていても、何処に居ても、傍には君が居て。
そして帰ってきてくれるのだから。


俺には帰る場所があれば、それでいい。
君の帰る場所があれば、それでいい。
この二つのリングが、互いの心臓にある限り。
互いは繋がっていられるのだから。


俺はロイの腕の中から顔を上げて。


「俺も…」


ありがと。




母さん。
俺、帰る場所ができた。
俺を受け止めてくれる人が。
大切な人が。
大好きな、人が。
できた。
もう俺は、迷わなくてもいいんだよな。
甘えても、いいんだよな。
ずっと留まることは出来ないと思うけど。
でもずっと。
ずっと繋がっていたいと、思っても。
いいんだよな。


ずっと願っていたものを、ようやく腕の中に収めることができた。
でも君は一つの場所には留まらないから、きっとまた私の腕をすり抜けて飛び立っていくのだろう。
それでも私は、君が此処に帰ってきてくれるということを信じて、生きていくよ。
少しでも羽を休めてくれるというのなら、喜んで手を差し伸べるよ。
君が何かを望む限り。
君が私を望む限り。
繋がりを、必要とする限り。




涙を一筋、零した。
それは悲しいものからではなく。
今までの旅の終わりを告げる涙。
そして、これからの旅の始まりと、俺たちの道を提示する涙。
その涙と。
柔らかで幸せを願った表情を共に。
貴方に。








Happy End.


04/10/26
後書きも読んで頂けますか?