振り返った君は、驚くようにして私を見つめていた。
その表情、仕草の全てが懐かしくて、嬉しくて。
愛しさが、一瞬で私を支配した。
幻ではない君が。
今、私の目の前に居るんだと。
月凪 23
「……っ、……」
振り返りかけた体が固まって動かなくなった。
指先すらおろか、瞳も逸らすことが出来なくて。
言葉も、発することが出来なくて。
それほど、今起こっていることが信じられない。
だってついさっき、母の前で誓ったばかりだったから。
俺は思い出だけで生きていけるんだって。
覚えているだけでいいんだって。
だから振り返った一瞬、それが見せた幻かと思った。
でも俺の中のあの人は、もうあんな風に、柔らかく笑ってなどいなかったから、それも違うんだと思って。
じゃあ此処に居るのは?
今、目の前に居るのは?
そう、本人しかいない。
あの人しか、いない。
「……久しぶり、だな」
「…っ、」
懐かしい、声。
ちっとも変わらない、俺に話しかけてくれてた、声。
それだけで、涙が出そうになって。
動かない体に強制命令をかけて、俺はようやく背を向けることができた。
そうしなければ、直ぐにでも泣き崩れてしまいそうだったから。
「…元気そうで、よかった…」
「………、」
ゆっくりと俺に近付いてくるのを物語るように、土が擦れる音が近くなる。
同時に声も大きくなりながら、俺に入り込んでくる。
やめろよ。
近付かないでくれよ。
「…っ近付くな…っ!」
絞り出した声が、静かな丘に響く。
足音は止まり、優しい風が頬を撫でた。
長い髪が、風になびく。
「…近付かないで、くれ…っ、」
自分を自分で抱きしめるように、腕を巻きつけ、目をぎゅっと閉じた。
「……何故…?」
「っ、」
どうしてそんなに優しい声で話しかけんだよ。
どうして笑顔なんか見せんだよ。
話しかけないでくれよ。
俺を見ないでくれよ。
そんなに優しく、笑わないでくれよ。
「…だって…っ!」
勘違い、してしまう。
俺を思い出してくれたんじゃないかって。
俺に、会いに来てくれたんじゃないかって。
折角、俺はアンタを思い出にして、アンタにもう迷惑をかけないように生きていこうと決めたのに。
俺は、アルに全てを捧げるって決めたのに。
幸せなんて、俺には願う権利なんてないから、願わないように誓ったのに。
なのに。
俺が今日、自分で決めた道を崩そうとするんだ、アンタは。
たった少し、顔を見て、声を聞いただけで。
アンタは、俺の全てを三年前に戻そうとしてしまうんだ。
「頼む、よ…っ」
もうこれ以上、俺を惑わせないでくれ。
俺を、変えないでくれ。
「―――分かった…」
少しの沈黙の後、ロイは納得したように言葉を吐いたが。
「だが、聞いて欲しいことがある」
このままでいい、何も言わなくていい。
聞いてくれ。
優しい声から、真剣な声へとトーンが変わった。
この声になった時は、何を言っても話を聞くまで話が進まないのを知っている。
だから、沈黙で了承の意を示した。
ロイはそれを受け取ったのか、ゆっくりと、話し出す。
「…三年前…」
「…っ」
切り出し方は、大体予想していた。
きっと、あの時のことだろうって。
「あの日、君が執務室から出て行ってから、色々考えた」
何故、泣きそうな顔をして、行ってしまったのか。
それが何を意味していたのか。
それまで、君が何を思っていたのか。
どんな気持ちで、私と接していたのか。
「…考えることは得意なはずなのにな……」
何故か君の事になると、全く分からなくなるんだ。
考えても考えても、私の中に君という存在はいなかった。
だから一時、考えることをやめた。
「…君が、私の中に入ってくるのが…嫌だったんだ」
「……」
嫌。
その言葉が重く突き刺さる。
エドはより強く、腕に力を込めた。
「だが、それはただ逃げていただけに過ぎなかったと、気付いた」
私の知らない感情を植えつけて、その感情が心を満たすことを恐れた。
その感情が自分を変えるのが怖かった。
「本当は、君に惹かれる自分が怖かったんだ」
「…、」
それは?と一瞬問うてしまいそうになって開きかけた口を、我に返って再び閉じ、またロイの声に耳を傾ける。
「記憶が戻った時のことを…考えたとき…」
もし、記憶を失っていた間の『自分』を、否定されたら。
君の記憶が戻った自分と、君の記憶がなかった時の自分。
全て『自分』なのに、もし。
否定されたら。
「…今思えば、君は絶対に否定などしないのに…」
大丈夫だと言って受け止めてくれると。
笑顔で、両手を広げて、受け止めてくれると。
「だが結局それも、自分の勝手な言い分だったんだ」
あの時の私は、そんなことも分からなかったんだよ。
君を何も知らないから。
いつのまにか、全ての原因を君に押し付けて。
今更ながらに自分の心に蓋を閉めて。
「…君から、逃げていたんだ…っ」
「…っ、」
痛いくらいに切ない声が、エドの心に沁み渡る。
それが嘘だなんて思わないけど、でも。
まだ、何かが。
何かが、足りないんだ。
「だから、君が望んだことにも気付いてやれなくて…」
君が一言も口にしなかったから、といえば言い訳にもなる。
君を知らなかったからといえば当たり前だとも言える。
あの時の私は、その理由に無意識に縋っていたのだ。
「君は何時だって…言葉にせずとも、表情で、瞳で訴えていたのに」
私はそれに気付かなければならなかったのに。
君の事を忘れているからこそ、気付かなければならなかったのに。
あの時。
「君への想いを、認めていれば…」
あの時、君を引き止めることが出来たのに。
「…!!」
エドは目を見開いた。
それは後ろから、自分の腕に重なるように優しく抱きしめられたというのもあるが。
何故こんなに自分の気持ちを多弁しているのか。
それは、俺に何かを訴えているようで。
俺に何かを伝えようとしているようで。
ようやく、気付いた。
ロイが、自分の事を思い出してくれていたのだと。
でも、でも。
何でだろう。
抱きしめられているのに、温もりを感じるのに。
足りないんだ、まだ。
願うように瞳を閉じると。
「…ロ、イ……」
それを聞くように、俺を抱きしめている人の名を呼んだ。
そして、それに答えるように。
「エドワード」
「――――っ!」
呼ばれた、自分の名前。
沁み込むように、沁み渡るように。
心に、届いて。
「エドワード」
顔を上げて、空を振り仰いだ瞳は、青い青い空を滲ませて。
「エド…エドワード…」
溢れた涙が、何度も何度も頬を伝って。
「エドワード…」
拒むように自分に巻きつけていた腕をゆっくり解き。
今度はロイの腕を抱くようにして、重ねて。
「―――――エドワード…」
温もりを、確かめた。
あの時まで、感じることの出来なかった右手で、両手で。
全身で。
あの時。
口にはしなかった願いが。
ずっと、絶対叶うことがないと思っていた願いが。
三年の時を経て俺の中に、届いた。
誰よりも、望んでいた人によって。
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04/10/23
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