君も。
こんな風に泣いていたのかな。
月凪 21
夕焼け色に染まる川の側を歩く。
それはいつもと変わらぬ帰り道なのに、体が酷く重かった。
ロイはあの場を逃げるようにして出てきて、今此処を歩いている。
別に怒りに任せて何かをしてしまいそうだったとか、それこそ八つ当たりしてしまいそうだったとか、そんなことではない。
ただ、今の自分の顔を見られたくなかったのだ。
あんな子供に振り回されている自分の顔を。
きっと鏡を見れば、自嘲してしまうだろう。
それくらい、辛い顔。
ただ普通に酸素を吸って、二酸化炭素を吐いて、心臓が動いて、そうやって人として当たり前のことをして。
普通に筋肉に脳が命令を出して、足を交互に出して、前に歩いているだけなのに。
普通に、脳が別なことを考える。
そう、普通なこと。
気分転換に、という理由をつけて歩いているのに、結局転換も何も泥沼にはまるだけ。
自分の感情と想いの泥沼に。
そして考える。
あの鋼の錬金術師のことを。
何故あの子は私の傍に居たのか、という根本的なところから。
12歳にして国家資格を取った天才錬金術師、というのは誰かから聞いた。
私の記憶にあるあの子はただそれだけの筈だった。
だが、あの子が私に話しかける度。
私の目を見る度に。
何故か、少しずつ。
私の心に入ってくるのだ。
それが怖かった。
私は部下以外に親しい人間を作らないと決めていた。
昔から付き合いのあるヒューズだけは何も隠すことなどないから、気兼ねなく話は出来たが、それでも部下であっても必ず一線を置いて、ボロを出さぬように言葉を選んで会話をしていた。
だが、あの子はそれを私にさせてくれなかった。
それどころか心に蓋すらさせてくれなかった。
開いた蓋からあの子は少しずつ、少しずつ私の心に入ってきて。
心を、満たしていった。
だからだろうか。
必要のない感情を、植えつけられたのは。
冷静沈着に誰にも心を見透かされないようにする、それが上へ行くための必須だと自分で結論を出した時から、そうしてきたのに。
あの子は不必要な感情を植えつけていった。
嫉妬もねたみも苛立ちも。
全て醜く、自分を壊すだけの汚い、いらない感情だ。
だが、それすらもあの子の前では心地よく自分を満たしてしまうんだ。
心に入り込まれ、侵食されていくのが怖くなった。
だから無意識だったが、きっと突き放すためにあの子を抱いたのだ。
辛く、苦痛を与えて抱いてやろうとした。
なのに快楽が私を支配していけばいくほど、意に反して手が優しくなっていった。
優しく、抱こうとしていた。
それは互いに互いを想い合うような、幸せな、本来の繋がりのように。
その時に、いや、もっと前からだったのだろう。
私は気付いていたんだ。
汚い感情が行き着いた先の。
あの子に抱いた、優しい感情に。
でもやっぱり怖かった。
それを認めた時に、自分はどうなるのかと。
記憶が戻った時に、どんな顔をしてあの子を見れば良いのかと。
そしてあの子がどんな反応をするのかと。
喜んでくれるかもしれない。
笑ってくれるかもしれない。
見たことのない笑顔を見せてくれるかもしれない。
だが、記憶を失っていた間の記憶も残っているのに、『その間の自分』を否定されたら?
記憶を失う前の自分も、記憶を失っていた自分も、全部『私』なのに、それを否定されたら?
きっとあの子ではなかったら、どうでもいいくらいにしか思っていないだろう。
だがあの子だからこそ、否定されたくなかった。
自分の全てを見て欲しかった、認めて欲しかった。
受け止めて、欲しかった。
でもそれは全部自分の都合のいい考え方だったと今更に思い知る。
自分の事ばかり考えていた私は、大事なことを忘れていた。
怖いといって、とっくに気付いていた感情を押し込めて、気付いてやれなかった。
あの子の、気持ちを。
想いを。
願いを。
『エドは此処を出てった時!大佐の記憶が戻ることなんてもう望んじゃいなかった!!』
私の記憶が戻れば良いと願っていたことは知ってる。
しかしあの子が、それを一度として私の前で口にしたことがあっただろうか?
私に負担をかけないように、ずっと自分の中に押し込めていたのか?
それに気付いてやれなかったのは何故なんだ?
『思い出して欲しいとか、傍に居たいとか、もう…望んじゃいなかったんだ…』
傍に居たいとも、口にはしなかった。
ただずっと、何を言われても、この二週間あの子はずっと傍に居たのに。
それすらももう望んでいなかったと?
その疑問も、いや傍に居たかったと思っていたことも分からなかった。
ずっと目で訴えていたのだろうか?
私に気付いて欲しかったのだろうか?
どうして、今になっても疑問しか浮かばないのだろう。
今となっては真実を知る術はない。
ハボックが理解して言った言葉でも、確証はない。
だが、少なくとも私よりはあの子のことを知っているから、言えた言葉だ。
『誰だか分かるかって聞いたのは、大佐に二つ名を呼んで欲しかったからじゃない…』
もう少し、考えて返答してやればよかった。
二つ名で、なんてカッコつけて呼ばないで。
もっとあの子の想いを受けとめてやればよかった。
何故その時になって心の蓋を閉めてしまったのだろうか。
よりによってあの時に。
あの子の想いを、一番受けとめてやらなければいけなかった時に。
自分の感情を認めなければいけなかった時に。
『ただ、名前を呼んで欲しかっただけなンだよ――――っ!』
たった一言だろう?
たったそれだけだろう?
当たり前のことだろう?
ヒューズに言われた時点で、気付かなければならなかったのに。
あの子が言った時に気付かなければならなかったのに。
ハボックに言われてからでは、遅すぎたというのに。
エドワード。
その言葉だけ。
それだけで、あの子を引き止められたのに。
もう一度、触れることが出来たのかもしれないのに。
と。
ふと現実に引き戻されたロイが見た先に、幼い女の子が居た。
その子の視線は道路のこちら側にいる、母親らしき人物に向けられていた。
その母親は友人との話に夢中で、子供には気付かないようで。
女の子が一直線に向こう側から母親の元に走り出したのにも気付かなかった。
この道路は車の往来が比較的少ない。
それをこの女の子は知っていたのか、左右も見ずに飛び出した。
だが運悪く、車が向かってきて。
このままでは、女の子が渡りきる前に、先に車が来てしまう。
ロイはそれを瞬時に読み取り、気が付けば走り出して。
母親の横を通り抜け。
女の子のように道路に飛び出して。
近付いてくるロイにびっくりした瞳を向ける女の子を胸に掻き抱いて。
女の子を来た方向に戻すように、肩から歩道に飛び込んだ。
その時。
何故か自分の頭の中にはあの子が居て。
自分が、あの子を落ちてくる瓦礫から守ろうとした映像が、頭を流れた。
そしてそれより前の出来事も。
会話も。
全て、全部。
鮮明に、流れた。
「ごめんなさい、ぐんじんさん、だいじょうぶ?」
女の子が腕の中から顔をあげてロイを見る。
母親たちが気付いて、声を上げているのが聞こえる。
周りの人々も、所々に何か言っている。
ロイは起き上がって、女の子を開放した。
「…ぐんじんさん?」
俯いて顔を上げないロイを、女の子が覗き込む。
すると女の子は焦ったように手を伸ばしてきて。
「ごめんね、ごめんなさい。どこかいたくしたの?」
頬に、触れて。
「ごめんね、なかないで。ごめんね?」
そして。
自分が、泣いているのだと、知った。
「…大丈夫、だよ」
「ほんとう?だいじょうぶ?」
「あぁ、」
女の子の手は、止まらない涙を一生懸命に拭ってくれる。
それでも涙は溢れ続ける。
「――――どうして、だろうね…」
「?」
涙を流すことはこんなに辛かったんだと、たった今知った。
あの子は。
エドは、ずっとこんなに辛い思いをしていたのだ。
誰にも話すこともせず。
全て自分の中でひた隠しにして。
絶対に表に出そうとしないで。
いつも一人で。
苦しんでいたんだと。
「――――どうして…」
先程考えていた全ての答えは、こんなにも近くにあったのに。
「どうして、呼んでやれなかったのだろう――――」
すまなかったと謝ることも出来ない。
もう涙を受け止めてやることも。
鋼の手に口付けることも。
「どうして、言えなかったのだろうね…っ」
抱きしめてやることも。
出来ない。
「エドワード――――――っ!」
さよなら。
そう言った君の顔が、ことさら鮮明に浮かぶよ。
今にも泣きそうな笑顔が。
潤んだ、金の瞳が。
それももう、見ることなどできやしない。
何度名前を呼んだって、君は此処には帰ってこないのだから。
私の胸に、帰ってきてはくれないのだから。
『ったく、しょうがねーな?』
そう言って、困ったように笑う顔を。
『ふざけんなっつーの!』
照れて怒る顔を。
『大佐』
嬉しそうに、輝く笑顔を。
愛しい笑顔を。
そして自分の感情、君の想い。
その全てを、思い出したとしても。
君はもう、居ないのだから。
そして。
その日から。
3年の歳月が、流れ―――――。
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04/10/17
大佐には泣いてほしかったのです。
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