誰も気付いてやれなかった。
たったそれだけのことだったのに。
月凪 20
エドと分かれたあと、真っ先に大佐執務室に向かった。
長い廊下を歩く足は速い。
こんなに足早に歩いて執務室に入ったところで、俺は一体何を言うつもりなのか。
遠回しにエドのことを切り出そうか、それともいっそはっきり言ってしまおうか。
しかしいくら考えようとしても、浮かぶのは罵声ばかり。
きっとまともなことを何一つ言えないで、大佐の反感を買うんだろう。
それでもいい。
今は浮かんでくる言葉全てをそのまま吐き出さなければ、俺の気がすまない。
でなければ、身を引いた意味がない。
右手に握っているのは、エドから受け取った黒曜石。
エドが今まで溜めていた思いを、代わりに吐き出してやる。
その誓いを込めて、大佐執務室の前で足を止め、ぐっと石を握った時。
「ハボック少尉」
後ろから声を掛けられて、左足を一歩下げて背中越しに振り向くと。
「ホークアイ中尉、」
合宿を終えたのか、少し大きなカバンを持ったホークアイが近寄ってきた。
だが本人によると、合宿が終わるのは今日で、東部に帰ってくるのは明日と言っていたはず。
「帰ってくるのは明日のはずでは…」
「ええ、その予定だったのだけれどね」
悪天候が続いてしまって、最終日の外での訓練が出来なくなってしまったのよ、とホークアイが続けた。
「だから予定が変わって、さっきこっちに帰ってきたのよ」
さっき、という言葉にハボックは右手に力を込めた。
エドがここを発ったのもついさっき。
もしかしたら。
「あの、中尉」
エドに、会いましたか?
そう聞こうとして口を開いたが、言葉を成さずに口を結び直した。
会っていたら、ここに居ないはずだ。
「何?」
ホークアイは不審に思ってか聞き返してきたが、視線を逸らして。
「…いえ…」
どうぜ大佐にもう一度言わなければならないんだ、それなら一緒に話した方が俺の負担が軽くなる。
そう思い言葉を飲み込んだ。
それ以上に、感情高ぶって何を言うか分からない自分を止めてほしいのかもしれないが。
「…ちょっと、話したいことがあるんスけど…」
その話、大佐にも聞いてもらいたいんですよ。
「…分かったわ」
苦笑しながら言ったハボックの言葉に何かあると、直感で悟ったホークアイはそれ以上は何も聞かずに頷き。
ノックののち、ゆっくりと扉を開けて中に入ったハボックの後に続き、足を踏み出した。
多分、いえきっと。
あの子のことなんだろう、と予想して。
「何だ、仕事なら終わったが?」
ロイは入ってきたハボックにさっと視線を通しただけで、コートに袖を通し始めた。
ハボックがその様子をただ突っ立ったまま見ていることに不審に思ったのか、後ろにあった体を前に出して敬礼をし。
「大佐、ただ今戻りました」
「ホークアイ中尉、早かったな」
そして一言二言のやり取りの後、俯き加減に何かを考えていたハボックがロイの方へと足を進めて、部屋の半ばで足を止めた。
「…?」
ようやくハボックの様子がいつもと違うことに、ホークアイは気付いた。
そして声をかけようとした自分よりも先に、ハボックが。
「預かりモンです」
そう言って、ずっと握っていた黒曜石をロイに投げる。
顔の前に飛んできた小さなものを瞬きもせずに右手で取り、掌を開く。
そこには、真っ黒な石。
勿論、記憶になどないし、見たこともない。
「…何だこれは?」
すぐに石をポケットに落とし、怪訝な顔をしてハボックを見れば。
「あと伝言を預かってます」
ロイの言葉を無視して、後ろで手を組んで。
「『ありがとう、そして―――――さよなら』―――と」
伝えた。
さぁ、アンタはどんな反応をする?
これでもまだ、認めないつもりか?
エドの存在を。
自分の、感情を。
「だから何のことだと、」
「…エドワード、君…?」
と、ロイの言葉を遮ってホークアイが名を出した。
ハボックは後ろを振り向かず、ロイを見据えたまま頷く。
そしてホークアイはようやく気付いた。
ここにエドが居ないことに。
「そう…そうよ、」
エドワード君は?
床にカバンを置いてハボックに並び、問うた。
それに目を閉じて。
「…中尉と、入れ違いで…ここを、発ちました」
そう吐いた。
するとホークアイは目を見開いて。
「そんな、だって」
辛くても、苦しくても。
あの子は、後悔したくないからって。
何より。
「傍に居たいからって…!」
諦めるなんて思えない。
唐突に事実を知らされたからか取り乱し、身を乗り出すホークアイ。
そう思うのも分からなくもない。
だから。
「でも、笑っていたんですよ」
辛そうだったけど、悲しそうだったけど。
満足した顔でした。
ハボックが思ったありのままを伝えると、ホークアイは複雑そうな表情をしていたが、瞬時に理解したのだろう。
エドが笑っていたということは、少なからず何かを得たのだ。
後悔は、していないのだ、と。
「………そう…」
だったらそれでいい。
あの子の中で、前に進める何かを見つけられたのなら。
長い間の後、自然と表情が緩んだのを見てハボックは、正直すんなり受け入れてくれるか心配だったが、この人なら分かってくれると信じていた。
俺と、エドの感情を悟ってくれると。
あとは。
「…一体何なんだ…」
この人の記憶だけ。
具体的にどうするかなんて知らない。
頼みの綱のエドも、もういない。
俺に出来るのは、きっかけをくれてやることだけ。
エドには中尉が与えてやった。
だったら、大佐は俺がやらなきゃいけないんだろ?
「…大佐、」
「…何だ」
機嫌が悪いのは承知の上。
だが、聞かなければならない。
エドが、ここを去ることを決意したわけを。
エドのことだ、本当は明日中尉が帰ってくる時までいるつもりだったのだろう。
それが何故、急に今日になったのか。
おそらく、抱かれたことが少なからずの原因だということは分かっていた。
心のどこかで大佐が何もするはずがないと思ってはいた。
しかしそれがここを去る決意をさせたのだとしても、それだけが全ての根源ではないはず。
もっと何か別のことがあったのではないか。
エドを動かすような、何かが。
「エドが此処を出て行く時、何か言っていませんでしたか?」
エドが抱かれたのは昨日しか考えられない。
となると、その後会話を交わしたのは今日しかないはず。
そこに、賭ける。
「…お前に話すようなことはないな」
刹那の間の後、椅子の近くにあった体を移動させて机の前側に立つと、身の回りの整理をしながら目を逸らして答えた。
その行動が確実なものにしたのを、ロイは気付いていない。
「…言っていたんですね」
「…私の話を聞いていたか?」
手の動きを止めてハボックを睨むロイ。
しかし見据えたまま、ハボックは動かない。
すごむわけにはいかない。
ここに、あんた達二人をもう一度繋ぐ手掛りがあるんだ。
頑なな何かを悟ったのか、ロイは小さくため息を付いた。
そして視線を逸らし。
「…何を言っていたのか私もよく、分からんのだがな」
「言って下さい」
促すと、机に背を向けて体重を預け。
「…『俺が誰だか分かるか?』と、聞かれた」
「…?」
「分からんだろう?」
だから私は鋼の錬金術師だろう、と答えたんだよ、と言った。
確かに、何を意味しているのかよく分からない。
大佐がそう答えたのも分からなくもない。
が、答える側として考えれば、まるで―――。
「…っ、」
唐突に、理解した。
そうか、そうだったのか。
エドは最後に、自分を引き止めて欲しいが故に、それを望んだんだ。
記憶が戻って欲しいと願うことをやめ。
傍に居たいと思うことをやめ。
ただ、たったそれだけを。
「―――っ、」
どうして気付いてやれなかったんだろう。
エドはいつも誰にも助けを求めようとしないから。
いつも全部自分の中に溜め込んでしまうから。
そしてそれを決して口にはしないから。
だからこそ、気付いてやるべきだったんだ。
中尉も、アルも傍に居なかったんだから、俺だけが頼りだったはずなのに。
それなのに俺は、自分の感情任せに暴走して、傷つけて。
吐き出させてやる機会を潰してしまっていたんだ。
誰よりも俺が、気付かなければならなかったことなのに。
「…少尉?」
俯いて思い詰めるハボックに、ホークアイが気遣うように声をかけた、途端。
「―――っ!!」
俺は大佐に大股で近付いて、胸倉を掴んだ。
急なことに、大佐も苦痛の表情をする。
「っ少尉!!」
ホークアイが叫んで止めに入ろうとするのを、俺は自分の声で遮った。
「―――っンでだよ…っ!」
それは自分と、大佐への怒り。
気付けなかった俺にだって落ち度はある、それは認める。
だが、それにすら気付かないこの人に、自分以上に腹が立った。
「…っなんで!!」
そうだ、俺が気付いても何の意味もない。
大佐が気付かなければ何も始まらないのに。
この人は、始まらせてすらくれなかったのだ。
それは、当たり前過ぎて気付かないのだろうか。
たった一言、たった一度でいいから、最後に。
エドはそう願ったに違いない。
『…俺、誰だか―――分かる?』
その言葉を聞いた時に、あんたは直ぐに理解をしなきゃいけなかったんだ。
「何で気付かないンだよっ!!」
エドの小さな願いを、叶えてやらなきゃいけなかったんだ。
「そりゃあ当たり前のことで気づかないかもしんないっスけど!!」
俺でもなく、中尉でも、アルでもない。
「何で、そんな大事なこと忘れてンだよ…っ!」
大佐自身が。
「…気に喰わんな」
据わった目で睨みあげる。
何故ハボックもヒューズと同じ事を言う?
何が当たり前だと言うのだ。
何が大事だと言うんだ。
「一体何だというんだ!!」
「!」
声を荒げるロイに、ハボックは胸倉を掴む手により力を込め。
「エドは此処を出てった時!大佐の記憶が戻ることなんてもう望んじゃいなかった!!」
ごめんな。
気付いてやれなくて。
「思い出して欲しいとか、傍に居たいとか、もう…望んじゃいなかったんだ…」
ごめんな。
こんな形でしか言ってやれなくて。
「誰だか分かるかって聞いたのは、大佐に二つ名を呼んで欲しかったからじゃない…」
もう、遅いかもしんねェけど。
「ただ、名前を呼んで欲しかっただけなンだよ――――っ!」
お前の願い、叶えたぜ。
「――――――、」
ハボックの悲痛な叫びに、ロイはただ目を見開くことしか出来なかった。
本当は、アルにも言えなかった願いがあった。
些細なことだけど。
たった一度でよかった。
大佐に、ただ名前を呼んで欲しかったんだ。
エドワード、と。
でももう俺には必要のないことだから。
きっともう、一生叶うことのないことだから。
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04/10/15
記憶喪失以降、ロイは台詞でもモノローグでも一度も名前を呼んでいないんです。
あーそうだったのかー、とか思って頂ければ。
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