宿の窓から薄暗くなった空を見上げていた。
と、弟の声とともに部屋の扉が開いた。
「ただいま、兄さん」
「おー、」
アルは二週間前の事件以降、崩壊した研究所跡の事後処理を手伝っていた。
エドがロイの傍に居たいと言った時は少し心配そうな声で大丈夫かと聞いてきたが、したいようにすればいいと言ってくれた。
しかしその間何もしないというのは、アルにとって酷なことであって。
だったら、と自分が今出来ることをやりたいと言ってハボック達と共に連日研究所跡に手伝いに行っていた。
だが大変だったのも一週間位の間。
もうそろそろ片がつく頃ではないだろうか。
「…なぁ、」
そう考えて、エドは話を切り出すと、何?と、アルはエドが座っているベッドに近付いてきて腰を下ろし、目線を合わせた。
「そっちの方は大体片付いたか?」
「うん、明日ぐらいには終わりそうだよ」
従順な答えにそうか、と視線を落として答えるエド。
それから少し間を置いて、またアルを見据えると。
「…だったら、明日の夕方」
ここを、発とう。
月凪 18
翌朝、大佐執務室。
出勤時間よりも少し早く着いたロイは、歩きながらコートを脱いでソファに投げ、そのまま自分専用の椅子に向かい、どさっと腰を下ろした。
ふう、と自然にため息が出た。
それに気付いて。
「…昨日は少し頑張りすぎたか…?」
別の意味で。
などと自嘲じみた呟きを吐きながら、昨日途中にしてしまった書類に手をかけた、刹那。
ガチャ、という音と共に、赤いコートを着た少年が入ってきた。
「……」
少年は無言のままロイに近付き、机の上に積んである書類の束をがばっと掴み、それをソファの間にあるテーブルに置くと、自分も傍のソファに腰を落とした。
その迷いのない一連の動作にロイは少々呆気に取られていたが、直ぐに我を取り戻して。
「…まさか、来るとは思ってなかったな…」
目を伏せて、朝の挨拶には程遠い言葉を発した。
しかしそれを独り言と受け取ったのか、少年は書類に顔を向けたままこちらを見ようとはしない。
だからと言って次に発する言葉も出てこず、息を小さく吐いて、ロイも自分の仕事を始めようとした時。
「……今日が、」
持っていた書類を置いて、俯いたような角度の顔から、先程のロイの言葉に対する返答らしき台詞が聞こえた。
ロイはそれに動かそうとした手を止める。
「…最後だからさ…」
俺がこうして、アンタの仕事を手伝うの。
そう言うと、また書類を掴んで目を通し始める。
「…あぁ、」
そうか。
今日で中尉の合宿も終わり、明日から通常業務に復帰する。
それで最後だと言ったのか。
一瞬。
最後と聞いた時に。
何故か、焦燥感が込み上がった。
そしてそんな自分に、苛立ちを覚えた。
一体、自分の中に何が起こっているというのか。
昨日もただ抱くと言う行為をしただけなのに。
腕を、自分に回す必要なんてなかったはずだ。
それが何だ?昨日の私は。
もっと酷く、強姦の域まで達するような抱き方をしようとしていたはず。
なのに何故。
あんなに優しく抱いたのか。
そして今も、明日から居なくなるような言葉を吐いた時に込み上げた焦燥感。
まるで、離れて欲しくなどないかのように。
手を伸ばそうかとさえ、思った。
こんな感情など知らない。
知りたくもない。
一人の人間に、ましてや男に、こんな歳もゆかぬ少年に執着しているなど、あるまじき感情。
認めろと言われても認めてなどやらない。
別に自棄になっているわけではない。
ただ、認めてしまったら。
何かを思い出してしまいそうで。
今の自分がいなくなりそうで。
そんな小さな恐怖を、らしくもなく恐れているらしい。
だからこそ、認めるわけにはいかないんだよ。
それ程、怖い――感情。
時計が執務終了の五時を指した。
結局互いに、執務が終わるまで口を開かず、今日が終わった。
ロイにしてみればそれだけのこと。
だがエドにとっては、来て欲しかったようで、来て欲しくなかった時間。
限られた時間の終わりを告げる、長針だった。
エドは書類を整えて、ロイの机に置いた。
ロイはそれを確かめると、処理済の束の上に置いて。
「ご苦労」
と、視線を合わさぬまま労いの言葉を掛けた。
そう言った顔をエドは何も言わずに見ていた。
短い時間だったか、顔を焼き付けるには十分だった。
正面顔でも横顔でもなく、俯いた顔。
それを選んだのは、俺が思い出さないようにするため。
(目なんか見たら…)
会いたくなってしまうから。
まだ、無意識に何かを望もうとする自分に、心の中であざけ笑った。
未練がましい、女々しい自分に。
でもそれがあったからこそ、俺はこの二週間、この人の傍に居ることが出来た。
それだけには、感謝してもいいかもしれないが。
それも、今日まで。
エドは何も言わずに頭を深く下げて。
(明日からは―――捨てる―――)
歯を食い縛って、顔を上げた。
涙は出さない。
悲しみなんて、俺には綺麗過ぎる言葉だから。
踵を返し、広い室内の出口まで足を進め、ドアノブを握った、つもりだった。
だが手はドアノブに掛からぬまま止まって。
(最後に一言だけ、―――)
言葉を交わすのを、許してもらえますか。
誰に聞いたわけでもなく、誰に断ったわけでもない。
自分の中だけに問われた許しを請う言葉。
最後に一言だけ。
我侭を言わせて下さい、と。
「…なぁ、」
背中越しに話し掛けると、少し間を空けて返ってきた返事。
「…何だ?」
(こっち、見てくれた―――?)
「…俺、誰だか―――分かる?」
("俺"を、見てくれた―――?)
傍から聞けば意図のない質問。
俺が願うのは、愛しているとか好きだとかいう、そんなに綺麗で美しい言葉じゃないんだ。
たった一言。
せめて一度だけ。
(アンタの心の中に、少しでも"俺"は存在できた―――?)
最後に、一度だけでいいんだ。
「…誰?」
でも。
「お前は『鋼の錬金術師』以外何者でもないだろう?」
やっぱり願いは届かなくて。
伝わらなくて。
(――だけど―――これで、良かったのかもしれない…)
これで俺はこの人を苦しめることはなくなる。
俺も旅に出れる。
泣くことも、なくなる。
「…そう、だな…」
(これで、良かったんだよ―――)
そう心の中で呟いて。
俺は目を伏せてドアノブを握り。
開いた扉に体を通そうとして。
そこで動きを止めて。
少しだけ、振り返って。
「―――――― さよなら」
体を完全に廊下に出して。
そして、扉を閉めた。
その時俺はどんな表情をしていたのか分からないけど。
きっと、変な顔してたんだろうな。
だから、一瞬見えた大佐の顔が、驚いたような顔をしてたんだ。
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04/10/08
エドが何を言って欲しかったのかはまだ引っ張ります…。
ヒューズ辺りから引きずってますね…。
ブラウザでお戻りください。