中尉が戻るまであと二日。
俺に残された時間は、あとその二日だけ。
その間に俺は一体何が出来るだろうか?
その間、傍に居ることは許されるだろうか。
せめて。
この二日間だけでいいから―――。


月凪 16




「…」


大佐執務室への足取りは重い。
昨日まで一緒の部屋で同じ仕事をしていたのが何日も前に思える。
それだけ、昨日は色んなことがあり過ぎて。


昨日、俺はグリードが去ったあともずっとソファーに背を預けていた。
グリードが入ってきたことにも驚いたが、あの事件の根源だと自白されてもっと驚いた。
いや、それよりも怒りの方が大きかった気がする。
そして思った、お前の所為で俺たちは、と。
だが俺は怪我も何もしていない。
被害者でもない。
俺が負うはずだった痛みと傷を、全部大佐にやってしまったんだから。
何より俺が、大佐を殺そうとした罪人なんだって。
それを自覚した瞬間にグリードに暴かれて、何も言えなくなった。
せめてもう少し、自分で考える時間が欲しかったのに。
自分で自分を咎める時間が欲しかったのに。


少尉とも、今日は顔を合わせられない。
正直、少尉があんなに感情を露にして俺を求めてくれるのは嬉しかった。
何があっても俺の前ではマイペースで、余裕があった大人で。
だから声を荒げて切ないほどに俺の名前を呼んでくれた時、それだけで泣きそうにもなった。
俺が今一番欲しかったものをくれたから。
でも、俺は弟のように接してくれる少尉を良い兄だとも思っていたから、その感情には答えられなかったんだ。
俺がその感情を受け入れることが出来るのは、きっと後にも先にもあの人だけだから。
それなのに、好きになれたらいいなんて、自分勝手なことを吐いて。
沢山、沢山傷つけた。
元の関係に戻れないのは必至。
俺はそうまでして、あの人の傍に居ることを選んだんだ。


それなのに、それなのに。
お前の所為だという言葉が頭から、離れない。











一応は規定時間通りに大佐執務室に着いた。
結局昨日は見回りの憲兵に声をかけられるまであの部屋に居て。
石を捨てられて部屋を出て行ってから戻っていないエドは、ロイに上がるの一言も伝えないまま宿に戻ってしまった。
泊まって良いと言われていたハボックの家に戻る訳にも行かず、軍の病院近くの宿まで戻ったのは日付を超えてから。
疲れていたが眠ることも出来なかったので、ゆっくり歩くことも想定して宿を出たのが数十分前。
一キロの道のりを歩くには長い時間だが、今のエドには数十分すらも短く感じられた。
しかし着いてしまったからにはこの扉を開けないわけにはいかない。
エドは小さく深呼吸をして、キィ、と音を立てる扉を開けた。


「―――」


中には既に大きな机に向かっているあの人が居た。
その顔は真剣そのもので、軽い朝の挨拶すらも言えない雰囲気を漂わせていた。
近付き難かったが、自分の仕事はロイの傍に居なければ始まらないことで。
エドはおずおずと足を動かし、一歩一歩ゆっくりした動作でロイに近付いた。
と、気付いてはいたものの何も誰も居ないかのように振舞っていたロイの手が止まり。


「…仕事を途中で放り出すのはいただけんな」
「っ、」


視線は書類に落としたまま、左肘をつき、掌に顔を預けて言った。
それ位のなじりなら、この数週間の間に多々あった。
だが、今日のは何故だろうか。
低く心の底からの怒りを込めたような声に、恐ろしいほどの寒気を覚えた。


「…あ、…っ」


無意識に、右腕で自分を抱きしめた。
それでも震える生身の体は、止まらなかった。
声を発さないエドに気付いたのか、ロイはようやく顔を上げてエドの顔を見た。
一点を見つめて凍る視線。
怯えたようなそんな表情に。


「…言い訳があるなら、聞こうか」


目を細め、声色を柔らかくして聞いた。
するとエドは一瞬戸惑ったように目をロイに合わせたが、直ぐに反らしてまた黙り込んだ。
だが体の震えは止まったのか、右腕の力を抜いた。


「…ないのか?」


また優しく問う。
が、口は一向に開かず、きつく結んでいる。
それを開けようと、ロイは声色を変えた。


「…それとも…言えないと?」
「っ!!」


エドの肩がびくりと揺れた。
明らかな動揺が、問いの肯定を示している。
ロイはにっ、と口の端を上げて笑うと、立ち上がって机の向かいにいるエドへと歩み寄った。
ゆっくりとした足音が自分に近付いてくるのが分かる。
その姿を視界に入れまいと俯く角度を急にしていくが、それにも限界があり。
軍靴が視界の端に入った瞬間。


「っ!」


顎を掴まれて、勢いよく上を向かされた。
そして今度、はっきりと視界に入ったのはロイの冷たい表情だった。


「…何、だよ…っ」


抵抗するわけではなかった。
何でもいいから何かを言わなければ、その冷酷な目に耐えられなかった。
しかしそれが気に触ったのか。


「口答えする気か?」


お前にそんな余地などないというのに。
言いながら右手を拘束された。
こんなに近付くのは大佐が記憶を失ってから初めてかもしれない、などと悠長なことを思っている場合ではない。
大佐が、これほどまで感情を露にしたことがあっただろうか。
少なくとも、あの日からはなかった筈。
では何故、こんなに冷たい目で俺を見下ろすのか。
今だ問いについて黙秘を続けるエドに、ロイは痺れを切らしたように。


「…言えないのなら私が言おうか」
「ぇ…」


にやり、という擬音がぴったり合うような笑い方だった。
それは確実な何かを掴んでいるからこその笑みで。
嫌な予感が体全体を包む。
まさか。
ありえない。
と、グリードの言葉を思い出す。
"ありえないなんて事はありえない"。
まさか、そんな。
困惑するエドは、顔が近付いてくるのに気付けなかった。


「―――――っ!!」


ぬるりとした、感触。
それが大佐の舌だと気付いたのは、唇を舐めていたものが自分の口の中に入ってきた時で。


「――っ、んっ、ん…っ」


押し返そうとしても遅く、既に膝に力が入らなくなってきていた。
今の高さを保っていられなくなったエドをいち早く悟って、ロイは山積みの書類を雪崩のように床に落とすと、掴んでいた機械鎧の方の腕を引っ張り、机の上に乗せるようにして押し付けた。
勿論、唇は放さないまま。


「…っ、ふ、ぅ…っ」


ロイが別のことに意識を反らしていても、口の中にある舌の動きは止まらないまま、エドを翻弄する。
何度も何度もされたことのある、大佐からのキス。
一度大佐の舌を自分の口の中に入れられると、あとはもう思考能力を失うまで追い詰められる。
いつもならそれは待つだけのこと。
だが今日は。
追い詰められるわけには、いかないんだ。


「…っ、」


ロイは一瞬苦痛に目を細め、舌を放した。
そして俺を見下し。


「痛いな…」


エドが噛んだ位置から流れる血を親指で拭いながら言った。
しかしその表情はどことなく楽しそうで。


「何処が、痛そうな顔だよ…っ」


上がる息を整えつつ、今の自分にとって精一杯の毒を吐く。
きっと、大佐は昨日のことを知っている。
だから俺にこんなことをするんだ。
少尉への当て付けか、俺への嫌がらせか。
どちらでもないかもしれないが、言われる前に言ってやる。


「…昨日……見たの、かよ…」


エドが問うと、唇をぺろりと舐める仕草の後。


「見たわけではないがな。まぁ途中まで聞かせてもらった」
「……っ」


これ程の辱めはない。
エドは唇を噛んだ。
この人だけ、と思いながらされた行為に、俺は抵抗出来なかった。
それだけでも居た堪れないのに、聞かれていたなんて。


「…案外、良い声で啼くものだから驚いたよ」


エドの心情も気にかけず、淡々と言葉を紡ぐロイ。


「…だから、かな」
「…?」


ふと、視線が絡まる。
今まで緩和していたロイの表情が、目を細めることによってまた冷たさを取り戻した。
そして俺を舐めるような視線を這わせて。


「私も、啼かせてみたくなった」
「っ!」


言い終わった途端、離れていた互いの顔の距離を一気に縮めてまた深いキスを仕掛けてきた。
後ろは机。
首を振っても逃げられるわけがない。
確実に、逃がさないつもりだ。


「っ、ふ、っぁ、―――っや、めろ…っ!」


唇を開放されたと同時に、ズボンからシャツを抜かれ、肌に這わせながら間に手を入れてくる。
ぞくり、とした感覚が体を駆け抜けた。


(―――っ嘘だろ…っ)


ただ、肌を触られただけ。
少尉にされた時以上に、体が感じている。
キスの所為もあるかもしれない。
でもそれ以上に。
体が、覚えている。
大佐に抱かれて喜ぶ感覚を、体が覚えているんだ。


「―――っ、んっ、っっ…っ!」


声を堪え、甘い声の出所を両の掌で覆う。
何が何でも、声を上げるのを止めようとした。
こんなことをされて喜んでいては、ただ体を求めているだけだと思われる。
体の関係を第一に望んでいるのだと。


(―――違う…!)


エドの心の叫びは虚しく、ロイは直ぐにエドの両手を取り去って、椅子に掛かっていた黒いコートを手に取ると、エドの両腕をクロスさせて上にあげ、コートを複雑に腕に絡めつけ。


「言っただろう?啼かせたいと」


声が、聞きたいと。


「―――っ!」


生暖かい感触が、体を這う。
自分の体を、ロイの舌が這っているんだと唐突に感じた。
体が跳ねる。


「…それに、お前はこれを望んでいたんじゃないのか?」
「!!」


熱くなる。


「記憶がなくとも、これには何の問題もないからな」


―――止められなくなる。


違う。
違う、違う。


「――――っ俺は、こんなことを望んでたんじゃ、ねぇ…っ!!」


辛そうに、切なそうに言い放った。
ロイは俺の叫びに目を見開きはしたが、直ぐにまた目を細めて。


「…お前が、何を望んでいるのかは知らんが…」


とりあえず、お前の具合を試させてもらおうか。


「…っ!」


何で。
何で。
俺はアンタの。
ロイの心が、欲しいのに。





悔しかった。
何も出来ない自分が。
何も伝えられない自分が。
本当の望みを、言えない自分が。





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04/10/01
何て所で切ってしまったのか…。
長いんです、ここら辺…すいません…。


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