お前さ、何か大事なこと忘れてないか?


月凪 12




窓が開いているのか、心地よい風がカーテンの隙間から頬を撫でる。


「…ん…」


その隙間から差し込む光がふと目に入ってエドは身じろぎ、ゆっくりと目を開けた。
暫くぼーっと天井を見つめていたが、ここが昨日まで泊まっていた宿ではないことを思い出した。
首を動かして、ソファを見ると居るはずの家主が居ないことに気付く。


「………っ!」


そこでようやく意識が覚醒して、ばっと布団から上半身を起こす。
反射的にシャッとカーテンを開けると、日が高い位置にまで昇っている。


「っやっべ…!!」


今日からロイは司令部に復帰する。
昨日まで泊まっていた宿は遠いからって、司令部から比較的近いハボックの家に泊めてもらったとはいえ、こんな時間まで寝ていては元も子もない。
これではロイに怒鳴られてしまう。
とにかく急いで着替えて司令部に行かないと、そう思い、右手を付いてベッドから降りようとした時、クシャという音が右手の下から聞こえた。
機械鎧故、感覚はなく音で紙が置いてあったのだと気付いた。


「…?」


見ると、そこには癖のある字で。
"今日は午後からでいいからゆっくり寝ててくれ。昨日の休みの代わりってことで、大佐には伝えとく。"
そう書いてあった。
ハボックからの嬉しい気遣いに、エドは申し訳なさそうに笑って、くしゃっと握り締めた。
時計を見るともうすぐ昼。
先程までの焦りはなく、ベッドから降りてゆっくり着替えると、エドは司令部に向かった。











「全く、今日からが忙しいというのに…」
「昨日休ませてやらなかったのは誰っスかね」


大佐執務室にこもって大量の書類処理に負われているロイとハボック。
いつもならば中尉がこの場に居るのだが、軍の合宿のため東部にはいない。
それに代わってこの役を名乗り出たエドも、昨日休めなかったからとハボックが勝手に休暇を取らせ、その結果ハボック自身が代わりに仕事をこなしている。


「おい、これに関連したのはどれだ」
「あー、それはそっちに」
「先週の会議の書類は」
「これっス」


集中すればこんなにも速く仕事をこなせるのに、どうしていつも溜めてしまうのか。
そんなことを思いつつ足元に山を作っている書類を整理していく。
と、背後の扉が開く音がした。
一瞬エドかと思い振り向くが。


「よ、頑張ってんな?」


姿を見せたのはヒューズだった。


「ヒューズ中佐」
「何だ、何しに来た?」


意外といった顔で見るハボックと、嫌そうな顔で見るロイは対照的で。
特にロイの方を見てヒューズも嫌そうな顔をする。


「何だよ、その顔は」


折角気ぃ使って来てやったのによ?とため息を付きながら言うヒューズにロイは先程一瞬顔を上げただけで、また視線を机の上の書類に落としながら。


「頼んでなどいないが」
「あーっそ、相変わらずだな」


仲睦まじいと言うか何と言うか。
そんな二人の会話を聞きながらハボックはとりあえず自分のやるべきことをやっていく。
と、ヒューズがハボックに向かって目で何か合図をした。
この状況からすると多分席を外してくれって所だろうか。
中佐とはあまり面識はないとはいえ、雰囲気くらいは読める。
丁度足りない書類もあったことだしと持っていた束を置いて。


「あ、すんません、ちょっと足りない書類取りに行って来ます」
「あぁ」


ロイの返事を貰い、積み上がっているものを崩さないように跨いで自分の周りに連なっている書類を越えると、ヒューズの横を通り。


「中佐、ゆっくりしてって下さい」


と言って出て行く。
扉を閉める直前、余計なことを言うな、と声が聞こえた気がしたが、この際気に留めてもしょうがないこと。
しかし執務室に戻れないとなると仕事も出来ないわけで。
とりあえず一足早い昼休みでもとってしまおうと、ハボックは休憩室に足を進めた。











「…で?ハボックを追い出してまで何の話だ?」
「何だ、気付いてたのかよ」


流石と言うべきか、勘が鋭いロイ。
つまりは三人が三人、変な気を遣っていたということだ。


「別に、大したことじゃねぇんだけどな」
「だったら早くしろ」


こっちは忙しいんだ、と手の動きは止めないまま、顔を上げないまま言った。
その様子が、以前会った時とは違うことにヒューズは気付いた。
何が違うか、と聞かれて具体的に答えられないくらいの些細なことだったが、何と言うか、言葉に棘があるような、そんな雰囲気が。


「…お前、変わったな」
「…はぁ?」


何を言い出すかと思えば。
気が抜けてロイはようやく手を止め、顔を上げた。


「前会った時はそんなんじゃなかったな」
「何のことだ」
「てことは事故に遭ってからか」
「だから何の、」


ヒューズが何を言っているのか全く分からず、苛々がつのる。
最近自分の事に関しても分からないことばかりだというのに。
一体何なんだ。


「……何か、イラついてんだろ」
「っ、」


いきなり確信を突いた言葉。
見透かされているとは思っていなかったロイは、少し焦るが表情には出さない。
これ以上悟られるわけにはいかない。
こんな、下らない感情を。


「…だったら、何だ?」


いくらお前にでも、話す必要はないと思うが。
そう言って親友を睨むが、ヒューズは微動だにせず。


「…エドは?」


全く関係のない話を切り出す。
それがまた苛つきを上昇させると分かっていて言うのか。
しかも何故アイツの名を出してくるのか。
更に苛々が込み上げ。


「っだから何なんだ!」


思わず怒鳴ってしまった。
怒鳴ってから、今のでヒューズが出した名の奴で自分がイラついていると言っているようなものだと気付いても遅い。
これも全てアイツの所為だ。
逆恨みでも逆ギレでも何でもいい、とにかく全ての原因をアイツに擦り付けてやる。


「アイツは関係ないだろう!」


もう一度怒鳴って。
これではヒューズに八つ当たりしているだけだ、そう気付いて、ロイは何とか心を落ち着け。


「…用がないなら帰れ。…忙しいんだ、こっちは」


また、視線を書類に戻した。
ヒューズもその態度にため息を付き、もう無駄だと思ったのか、きびすを返して扉に向かった。
そしてドアノブに手をかけようとして上げた手を止めて、一度下ろして。


「…お前さ、大事なこと忘れてんだよ」
「…何?」


まだ言うか、と睨むロイ。
見ると今までにないほど真剣なヒューズの顔だった。
それに一瞬動きが止まるが、直ぐに元に戻り。


「当たり前なことだけどよ、気付かねぇもんなんだよな」


後悔する前に、気付けよ。
そう言って今度こそドアノブに手をかけた。
かと思うと、それより刹那先に勝手にドアノブが回って。


「悪いっ!遅くなった!…って、中佐?」


開いた扉から入ってきたのはエド。
開けた途端に目の前に居た人物に直ぐ気付き突っ込むのは避けられ、ヒューズだと判断できたのには少しもかからなかった。
いきなりでヒューズもビックリしたが、直ぐに笑顔に変えて。


「よーエド、久し振りだな」
「久し振り、何時こっちに…って、ごめん、俺仕事あっからさ」


エドも笑顔で対応していたが、すぐ自分がやらなければいけないことを思い出してロイの方に行こうとする、が。


「っと、待った」
「っ!?」


赤いコートのフードを掴まれて、後ろに居るヒューズに倒れる形になるなってしまう。
ワケの分からないエドを他所に、ヒューズは何をやっているんだと言わんばかりに見ているロイに。


「ロイ、ちょっくら借りてくな?」
「何?待て、仕事が…」
「硬ぇこと言うなって♪じゃ」


ロイの返答も聞かず、ヒューズはフードを掴んだままずるずるとエドを引きずるようにして外に出て行く。
エドはどっちの言うことを聞くべきか考える間もなく廊下に出されてしまって。


「え、おい、ちょっ、中佐!」
「ヒューズ!!」


ロイとエド、互いの言うことも無視して扉を閉めた。
残されたロイ当て付けのように書類に向かっていたが、先程のヒューズの言葉が頭から離れない。
『大事なこと忘れてんだよ』
大事なこととは一体何か。
何を忘れているというのか。


「…っくそ、」


言いようのないイラつきはまだ続くのか。
眉間にしわを寄せて、ロイは頭を抱えた。











「何のつもりだよ、中佐」



後で怒られんの俺なんだけど、と口を尖らせて歩く。
部屋から出てしばらく、ヒューズは言葉を発しなかった。
先程から何度かエドは同じコトを聞くのだが、返事はない。


「…なぁ〜…」
「…中尉から、聞いた」
「っ、」


唐突な、主語のない台詞だったが、中尉という単語が入っていただけで分かった。
記憶喪失になったこと、聞いたんだ、と。


「そ、っか…」


エドは足を止めた。
そして何だか、とても謝らなければいけないような衝動に駆られて。


「…ごめん…」
「オイオイ、何でお前が謝るんだよ」
「だってよ…」


ヒューズは苦笑していたようだが、その顔すら見れなかった。


「俺の、所為だし…」
「エド、」


肩を掴んで自分の方を向かせるヒューズ。
向かせられた勢いで、顔を見てしまった。
だがその顔は先程の苦笑ではなく、優しい笑いだった。


「お前の所為じゃない。アレは事故だ」
「でも…!」
「謝ったところでどうにかなるわけじゃないだろ」


お前は過去のことじゃなく、前を見ていけばいいんだ。


「…!」
「俺にはさ、こんなことしか言えねぇけどよ、」


何時だって、エドの味方だからな。


「中、佐…」


そして優しい笑いは、照れたような笑いになって雰囲気を和ましてくれた。
やっぱり、この人の空気は好きだなぁと思った。


「…本当はロイじゃなくてエドの様子見に来たんだよ」
「俺?」


てっきり大佐を心配して来たんだと思っていたエドは呆けた顔をして。


「潰れてねぇかなぁって思ってさ」


お前は何時だって何かあった時自分を責めるからな。
泣いてないか心配だったんだ、と。


「…大丈夫だって」


俺はもう泣かねぇよ。
あの時、もう沢山泣いたから。


「そっか、」


エドのいうあの時、は分からなかったが、強くなったのは確かのようだ。
だが泣かないというのは辛いこと。
涙を堪えるのは辛いだろうに。


「…辛い、ぞ?」
「うん」


でも俺はそれも受け止めたいから。
そう、力強い目ではっきりと言った。
その言葉にヒューズは、ははっと笑って。


「お前らしいな」
「だろ」


エドも笑顔で答えた。
そして。


「じゃ、俺戻るわ」
「あぁ、」


エドはそう言って来た道を戻り始める。
と、足を止めて振り返り。


「ありがと、」


照れくさそうに笑っていた。





俺はこんなにも皆に思っていてもらえる。
それだけで、幸せなんだ。




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04/09/12
ヒューズはお父さんみたいな感じで。
結構重要なこと言ってんですけどね。意味深。


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