その日は満月。
二人の男は違う場所で同じ人のことを考えていた。
勿論互いの想いが互いに影響することになるとも知らずに。
月凪 11
すー、すー、と規則正しい寝息が部屋に響く。
自分の部屋に着くなり、ハボックはエドを浴室に押し込み、自分は買い出しに行ってくると言って帰ってきたら、ベッドに丸い山が出来上がっていて。
確かに遠慮せずに寝てろとも言ったが、エドは髪をろくに乾かさずに潜り込んだのか、さらさらのストレートの髪が束を作っていた。
(…いくら面倒だからってなぁ…)
それでは流石に痛むだろう。
エドは少しの時間も無駄にしたくないのか、ほおっておけば髪を乾かさずに寝ることなどしょっちゅうだと以前アルから聞いたことがある。
しかしエドの髪はいくらそれを繰り返しても痛む気配はないらしく、この子供を始めて見た時から髪の艶は変わらなかった。
(…こんなちっさくなって寝なくても…)
そう思いながらハボックはエドに手をかざす。
ハボックでもゆったり寝れるサイズのベッドに、エドは横を向いて体を丸めて眠っていた。
かけている布団も抱き込んでいるので、エドの体がない部分のベッドはシーツが見える。
ふと、かざした手を止めた。
何故か、触れるのを躊躇った。
だがそれが何の躊躇いか分からなかったから、そのまま手を近づけ。
頬にかかっている髪を掃うように、触れた。
(―――…一体、どれだけ苦しんできたんだ…?)
一体どれだけ、この頬を涙で濡らしてきたのだろうか。
本人に届くことのないこの問いかけ。
答えてほしいなんて欠片も思っていないから、口に出すつもりなど到底ないが。
それでも、少しでもいいから分けてほしいと思うのは勝手過ぎるだろうか。
少しでも、内に秘める辛さを、分かってやることは出来ないだろうか。
いくらそう思っても。
俺には今も、これから先も、口にしてもらわなきゃ分かってやれないんだろうということは自覚している。
(…大佐なら、きっと顔見ただけで分かっちまうんだろうな…)
経験だとか、付き合いの長さとか、きっとあの二人にとってはそんなんじゃないんだ。
どうして大佐には分かるんだ。
以前から感じていた言い様のない敗北感。
だが今は互いが同じ位置に――いや、少しでもエドを知っている分、俺の方が有利だといってもいいはずだ。
いい筈なのに。
(…勝てる気がしねぇ…)
少なくとも、今日の大佐を見るまで、どことなく余裕があった。
今エドが頼ってくれるのは俺。
アルでも中尉でもなく、俺なのに。
『…どうでもいいが』
そう言った時のロイの表情を見れば分かる。
頭では忘れていても、心では覚えてるってことくらい。
今までエドが涙した回数。
俺が知っているのはきっと数えるくらいだ。
大佐は、どれだけこいつの支えになってやったんだろう。
そう考える度に込み上げてくる敗北感と、悔しさ。
最初から、俺に入り込む余地なんてないんだ。
(―――ただ、今だけは…)
今だけは俺の腕の中に居てくれる。
たったそれだけと思っていた独占欲。
しかしそれは時間の経過と共に大きいものへと変わっていくのが自分でも分かる。
きっと次にエドが俺の前で泣いた時。
抑える自信は皆無に等しい。
(……俺の、もんなんだよな…)
頼むからそう思わせてくれ。
お前のいい兄貴でいさせてくれ。
「―――俺を、壊さないでくれ…」
小さく呟いた言葉と共に、ハボックはエドへと口付けた。
「……何なんだ、あいつは…っ」
ロイはカーテンも閉めずに、月明かりを部屋に入れて眠ることなくベッドの上で半身を起こして拳を握っていた。
片膝を立てると、足元にかかっていた布団は床へと落ちる。
最近、寝付きが良くない。
記憶喪失だと告げられたが、自分の中では忘れたことなど一切ない。
だから覚えている限りで、こんなに眠れないのは久し振りだった。
それもこれも。
俺の前に現れた少年の所為だ。
正直、こんなガキを近くに置くことは嫌で仕方がなかった。
了承したのは中尉が用でサポート出来なくなったことと、事件が重なった不運からで、仕方なく頷いたに過ぎない。
ガキはガキでも国家錬金術師だと言っていたから、少しはマシな働きをしてくれるだろう。
そう思っただけで、別に親しくなんてしたいとも思わなかったし、するつもりも到底なかった。
だが何故。
『無理して敬語なんて使わなくていい』
そんなことを口にしてしまったのだろうか。
軍属ではないとはいえ、一応は少佐相当の官位はあるわけで。
しかしそれでも自分の官位には及ばないのだから敬語は当たり前である。
だから無意識にその言葉を口にした時、自分でも驚いて。
少年も流石に驚いていたようで、気付かれないように言葉を続けた。
それは今思えばただの言い訳。
何故、私があんなガキに言い訳をしなければならないのか。
あいつは私が『自分のことを忘れている』と言った。
いや、はっきりとそう言った訳ではないが、態度を見ていれば分かること。
最初の余所余所しい態度がそれを物語っていた。
何故かそれが、自分の中に変な感情を生んだ。
まるで近くに居てほしいと願うように、その言葉が口から出てしまったのだ。
言い訳をして、自分を誤魔化そうとするように。
(…何故?私が?)
実際、敬語を使うのを止めてからそれが薄れていったのは事実。
更に増えた会話が、またそれを消していった。
こんなガキに。
そう思いつつも、毎日傍に居ることが当たり前になった時、ハボックが奴を休ませてくれと言ってきた。
次の日は急ぎの仕事もなく、休ませてやろうと思っていたのに、あいつが。
『じゃ、また明日』
そう言ったから。
たった一言。
何気ない一言が、私に伝言を伝えることを止めさせた。
決して故意にではなく。
ただ明日も顔を見たいと思っただけで。
「…っ何なんだ、これは…っ!」
誰か特定の人物を気にかけるなど、自分には必要のない感情のはず。
そういう人物を作れば、それが命取りになることなど分かりきっている。
だから今までも、ただ一人の人物に入れ込むなど、相手からのそういう感情はあっても、自分には有りえないことだった。
それが何だ、今の自分は。
男に、しかも一回り近くも離れていそうな子供。
私にとってはただそれだけの子供が。
ハボックと親しげに会話していた時に込み上げた、感情。
明らかな、嫉妬。
いつもならそんな感情があったとしても、声も表情も隠すことなど造作なかった。
だが声に怒りを込めて、表情を歪ませて言った言葉。
それにはハボックも気付いていた。
これは一体何なのか。
どうしたら自分でも理解できるようになるのか。
全てを握っているのがあの子供ということだけは、確かだ。
不規則な動きをしていた二人の歯車が、エドを中心にして、また動き始めた―――。
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04/09/08
やー、ごちゃごちゃしてきた。
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