嫌です、と敬語を使ったのは、俺なりの決意。
思い出してもらうとか、そんなのは後でいい。
俺という存在を認めさせなければ。
そう思ったから。


月凪 9




「…もう一度言おう」


出て行け。
そう言ったロイの目は久しく見ていなかった目をしていた。
最後に見たのはいつだっただろうか。
確かある任務での討伐から帰還した際と俺たちが東部に帰った際が、偶然重なった時。
廊下ですれ違った時の目だった。
あの時は視線が合っても話し掛けられなかったのを覚えている。
足がすくんだのも覚えている。
まずそれを乗り越えなければ、今ロイの傍にはいられないんだと思え。
そう自分に言い聞かせた。


「…これは、中尉から言われたこと、です」


そして俺が決めたこと。


「一度決めたことを投げ出すつもりは、ありません」


これは任務です、とエドは言った。
一度任された任務を途中で投げ出すなど軍人にあるまじき事。
それはロイ自身も知っているはず。
正直任務と言うのは嫌だったが、説得させるにはしょうがない。
これは上の立場であるロイに許可を貰わなければ始まらないのだから。


「…しかしお前は国家錬金術師だろう」


少佐相当の地位を持つお前が、何故中尉の言うことに従わなければならない?と、ロイも反論する。
尤もな意見を出されたらこちらも尤もな言い分を言うしかない。


「…先日の研究所跡の事件をご存知、ですか?」


自分でもたどたどしいと思う敬語で聞くと、ロイはあぁ、とだけ頷く。
必要最低限のことしか会話を成立させてくれないらしい。
少しずつ、心が軋む音がする。


「その後処理に人手を要している、ようなので、司令部に人がいないらしい、です」


だから俺が頼まれました。
はっきり言うと、視線を外して小さくため息を付くロイ。
分かってくれたのだろうか。


「…病人の私すら、我侭を言える立場ではないようだな」


がしがしと頭をかきながらそう言って。


「仕方ない…中尉のいない二週間、代わりに側近を務めてもらおうか」


またエドの目を見て不本意だがな、と最後につけるのも忘れずに。
どんな形にしろ、最初の一歩は踏み出せたわけで。
きっかけは、チャンスに変わった。












翌日からエドは病院に通い始めることになる。
てっきり身の回りの世話だけだと思っていたのだが。


「それは直ぐ司令部に持っていけ」
「おう、じゃなくて、はいっ」
「その帰りに資料室からここに書かれた文献と、追加分の書類を貰って来い」
「お…じゃなくて、はいっ」


この忙しさは何だ。
ロイは目が覚めた次の日から病室にも関わらず大量の書類に囲まれていた。
それを俺が何度も何度も司令部を往復して運んでいるわけで。
既に今日何往復したかすら覚えていない。
しかも病院から司令部までの距離は軽く1キロ近くは離れているのに、車すら使わせてくれないからひたすら走るしかないのである。
ただ往復するだけならまだいいのだが、それに加えて書類・文献がかさ張るとなると思うようにも走れず、足が上がらなくなってくる。


(こんなの、少しも考えて、なかった…っ!)


もうちょっとよく考えればよかった。
歩道を走りながらエドは自己嫌悪に陥っていた。


でも。
傍に居れるということがこれ程嬉しいとは思わなかった。
ただ今までと違うことは、ロイが俺を覚えていないだけ。
それだけ。
高望みはしないけれど。


―――また、心が軋む音がした。












「これで全部か…じゃなくって、ですか?」
「あぁ、それ届けたら今日はもういい」


エドはロイから書類を受け取ってきびすを返して退室しようとする。
何度気をつけても敬語がままならない自分に呆れ、また自己嫌悪してしまう。
日頃の行いがものを言うというか、もっと上官に対して敬語を使っておけばよかったと思った。
大佐はともかく、大総統にすらまともな敬語を使ったことがないような気がする。
敬語なんて使おうと思えば使える、なんて思っていたのがそもそも間違いだったのだ。
そんなことを思いながらドアノブに手をかけようとした時。


「おい」
「っ?」


呼ばれて反射的にびくっと肩を揺らしてゆっくり振り向く。
何かミスでもしただろうか。
恐る恐る顔を見ると、ロイは書類に視線を落としたまま。


「無理して敬語なんか使わなくていい」
「え」


予想外の言葉が聞こえた。


「一々言い直されていたら何を言っているのか分からんからな」


それだけだ。
言いながら手の甲を見せながら手を振って、出て行けの仕草をする。
一瞬呆けていたエドは、我に返り。


「え、あ、はい!」


思わず今度は敬語で返してしまった。
それを聞いてロイは。


「…っ、」


くっと、笑った。
目を疑うような光景だった。


「…どうした、早く行け」
「あ、じゃ…」


急かされて慌てて退室し、後ろ手で閉めてそのまま扉に背を預けた。
それは一瞬のことだったけど。
俺にとってはとても長く感じられて。
書類に顔を埋めてエドはその喜びを噛み締めていた。

心を締め付けるものが、少し緩くなった気がした。
まだ望みはあるんだよ、と言ってくれているような、気がした。



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04/09/04
谷があれば山も作らなきゃあ。
小さい山ですけどね。
でも明らかに谷の割合が多いですが。


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