もう、遅かった。


瞳の住人 15




アルからもらった地図を頼りに、エドは東方司令部まで来た。
記憶がなくなる前は、旅をしながらも頻繁に訪れていたらしいが、今は建物の形も覚えていない。
初めて見る建物のはずなのに、何故か少し懐かしい気がした。


敷地内に足を踏み入れると、士官たちが揃って年下の俺に頭を下げるのには驚いた。
だが、国家資格を持っていたのだったら当たり前のことなのだろう。
違和感だらけの今、ここに長居はしなくない。
それでも、一言くらいは言ってから発ちたかった。


「…」


エドは何故か正面からは入らず、横道を通って裏の庭へと出た。
まだ、あの人に会う心の準備が出来ていなかったから。


抱かれたあの日から、一週間が経った。
あの日から、あの人はもう病院には来なくなって。
俺も特にあの人の話題は出さずに、リハビリに専念していた。
でも、心の中に空いた小さな穴は満たされず。
この一週間、何かに縋るようにあの人のことを思い出しては掻き消して。
きっと、会いたかったんだ。
だから出発の報告を口実にここに来てしまったんだ。


裏庭を歩いていると、ふと青い軍服が目に入った。


「――――っ、」


ここには軍服を着ている人など沢山いるのに、一目で分かった。
あの人だって。
じゃり、という足音に気付いたのか、軍服の男もこちらを向いて。


「…!」


驚いたように俺を見ていたが、直ぐに真顔に戻して。


「…歩けるように、なったんだな」
「…あぁ」


お互いさして動揺していないようで、案外普通に話せる方に驚いたくらいだ。


「…」
「…」


それでもやはり今更何を話したらいいのか分からず、目を反らしたまま沈黙が辺りを包み、聞こえるのは風がそよぐ音だけ。
その沈黙を先に破ったのは。


「―――…今日、退院許可…もらったんだ…」
「…」
「…この後、発つ」
「…そうか」


短い、会話。
告げることは告げてしまった。
このままではやり取りが終わってしまう。
何か話したいんじゃなかったのか。


「…俺、」


言いたいことがあったんじゃないのか。


「…俺…」


言おう。


「…俺、アンタが」


後悔は、しなくないから。


「ずっと、好きだった」
「…!」


顔を上げて、ロイを見据えて、力強い目で、はっきりと言った。
その言動に驚いたのか、目を見開いているロイに。


「…記憶がなくなっても、分かるよ…」


俺、きっと、ずっとアンタのことが好きだったんだよ。
そう言うと、ロイは目を伏せて。


「…私も、好きだったよ」


でも過去形だ。
…今はむしろ間逆の感情かもしれない、とも続けて。


「…世界で…一番嫌いだよ」


ロイは以前エドに言われた台詞を口にした。
世界で一番、嫌いになれるようにという願望をかけて。


「…そう言われる気、してた」


エドは、特にショックも受けずに、むしろそれで良かったという表情をして。


「アンタの重荷になるなら、俺は喜んでこの感情を捨てる」
「…っ!」


ロイはエドの言葉を疑った。
――――今、何て。


「でも、これだけは言っときたい」


エドは柔らかな笑みを浮かべながら。


「俺、嫌いって言われて嬉しかった」


アンタが俺を嫌いでも、一番に変わりはないから。
一番になれるんだったら、嫌いでも構わない。


「――――っ!!」


――――同じだ、あの時と。
あの時、私が言った言葉と、同じだ。
確かにあの時、同じ言葉を言って欲しいと願った。
だがこんな形を望んでなんていなかったのに。
どうして。
どうして今。
どうして今なんだ。
――――どうして、別れなければいけない今なんだ―――!


ロイは叫びたい感情を必死に抑えて、きびすを返し。


「…武運を―――」


それだけを告げて、司令部内に戻る。


一度は捨てた感情が、こんなにも辛いなんて。
だがこれでいいんだ。
―――これで、よかったんだ。


拳を握り締め、思いを断ち切るようにロイは前を向いて、歩いた。




これでエドは私に、私はエドに。
縛られることなく―――――生きていけるのだから。













「…俺、さっき…」


何て、言った?
夢中で言った言葉だったけど、前に、何処かで聞いたような。
前に誰かが、俺に、言ってくれたような。


ざわっと強い風が通り抜け、エドは空を見上げた。
と、太陽の光が思いっきり目に入る。


「――――っ」


途端に、頭の中に鮮明な映像が次々と浮き上がってきて。



「だって一番なんだろう?」
「え」
「君が私を嫌いでも、一番に変わりはないから」
「!」
「君の一番になれるなら、嫌いでも構わないよ」


好きだとか嫌いだとか、そういう感情は望まない。
ただ君の一番だったらそれだけでいい。




「――――っせェよぉ…」


遅いよ。
遅いよ。
遅いよ。
どうして今。


「…っロイっ…!」


エドは膝をついてしゃがみ込む。
顔を覆った手の平を、目から零れ落ちる雫が濡らす。
そしてその手を地面につけて生えた草花をぎゅ、と握り、口だけがあの人の名前を呼ぶ。




名前を呼んでももう届かない。
遅かった。
もう遅いんだよ。




――――今、全てを思い出しても。




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04/06/15
これで3話の空白の会話が埋まりました。
引っ張ってすいませ…。
そしてオフで発行した時より加筆されてます、ここ。