兄さん、記憶が――――――?
瞳の住人 4
「終わったぞ」
「兄さん、兄さんは大丈夫ですか!?」
質素な扉から出てきた人物に、椅子に座っていたアルは勢いよく立ち上がって叫ぶ。
「落ち着け、命に別状はない」
宥めるように、その人は凛とした口調で答える。
命に別状はない、その台詞を聞いてアルは安堵して肩の力を抜いた。
「そう、ですか…良かったぁ…」
「麻酔が効いてて意識はまだ戻らないがな、今日中には目ェ覚ますだろ」
「はい、ありがとうございます」
アルはお礼を言うと、話していた相手の後ろの開かれた扉を抜けて、エドの寝ているベッドへと近づいた。
数時間ほど前。
『兄さん!兄さんっ!!』
『落ち着け!揺するな!』
『!?』
声のした方を向くと、偶然アルの叫び声に気付いた人が近づいてきて、アルの隣に膝を付くと、エドの容態を慣れた様子で伺う。
その行動からアルは一瞬で医者なんだと悟って。
『兄は!?』
『…傷口はそんなに大きくないようだが、出血が多い。直ぐにでも手当てしねぇと』
『じゃ、じゃあ僕救急車を!』
『いや、俺の家のほうが近い。そこに運んでくれ』
アルを見上げるのに邪魔になったのか、雨具のフードをばさりと脱いだ時、初めて女性なんだと気付く。
『は、はい!!』
見惚れる暇もなくアルは兄を慎重に抱え上げると、こっちだ、と先導する女性に只何も言わずに従った。
意識をなくしたエドの容態は医者曰く出血の割りに傷は酷くなかったので、数針縫うだけの怪我で済んだらしいが、まだ油断は出来ないとのことだ。
『偶然』の出来事とはいえ、アルは先程の事件を恨まずにはいられない。
「…兄さん…」
エドの眠っているベッドの横の椅子に座ってアルは呟いた。
頭には痛々しく包帯が巻かれている。
掛け布団から出されている左手首にも同じ包帯が巻かれていることに気付くと、きっとこれもあの時に負った傷なんだとアルは心の中で確信していた。
そんなアルの背中を見ていた医者は。
「大丈夫だ。目が覚めた時にはもう痛みはない筈だ。傷も1週間もあれば塞がる」
「…はい、ありがとうございます」
アルが申し訳なさそうに礼を言うと、バタン!という音と共にずかずかと踏み込んでくる音が聞こえた。
そして開かれたこの部屋の扉から現れたのは。
「大佐」
急いで走ってきたのだろう、ロイの息は少し乱れていて、部屋に入るなりエドの元へと近づいて。
「…鋼のは、」
「麻酔が効いて眠ってるだけだ」
アルとは別の声のした方へ視線を向けると、久しぶりに見る顔があった。
「やっぱりお前だったか、ウィズナー」
「久しいな、マスタング中佐。いや、今は大佐だったか」
ロイは苦笑しながら医者の名を呼ぶ。
明らかに初対面ではないやり取りに、アルはようやく大佐がこの場所を聞かなくてもここに来れた訳を悟った。
アルはエドがここに運ばれてからうろたえることしか出来なかった。
今の自分には兄に何一つしてやれることはなくて、しかし何かせずにはいられなくて。
これでは駄目だと、どうにか心を落ち着けてアルは受話器を取った。
決して自分に何かを言って欲しかったわけではない。
ただ兄が目を覚ました時に、自分よりもこの人にそばに居て欲しいと思ったからで。
「大佐ですか!?」
『そうだが…アルフォンスか?』
「はい、」
『君からの電話とは珍しいな…尤も、鋼のがもう私に電話をしてくるとも思えないがね』
「…」
ロイはアルがエドと関係を持っているという事を知っていたが、エドはこのことを知らない。
二人の間にいるアルは互いの気持ちの綱渡しになればと願っていたが、もうそれも叶いそうにもない。
いや、まだ遅くはない。
目が覚めたときに側に居てくれさえすれば、まだ望みはある。
アルははっきりとした口調で喋り始めた。
「先程、殺傷事件があったのはご存知ですよね」
『あぁ、今下の者が調べに行っているが…まさか、』
「はい、通報したのは僕です」
『…、』
アルの発言に、ロイは一瞬詰まる。
弟が事件に絡んでいるということは、必然的にエドも。
『…そう、か…。迅速な通報、感謝する』
「いえ…それで、男の人は、」
『まもなく息を引き取ったそうだ。だが君たちの所為ではない。気に病まないでくれ。犯人も捕まったからな』
「…はい、」
ロイは兄がこの事件に絡んでいることを悟ったのだろう。
だったら話は早い。
「それで、僕が通報している間に…兄が犯人を追ったんですが―――」
早く告げなければならないのに、いざとなると言葉が出てこない。
『…どうか、したのか?』
急かすように言うロイに、アルは何とか声にして。
「その時に、傷を…負って、」
『!!』
ロイの息が詰まるのをはっきりと感じ取ったが、ロイはそれでも落ち着いていて。
『…今、何処に』
聞かれて場所を答えようとしたが、ちゃんとした住所が分からない。
聞こうにも医師は今とても手の放せる状況ではなく。
「すみません、よく分からないのですが…犯人が捕まった場所は分かりますか」
『あぁ』
「その近くの小さな病院なのですが…」
町病院なんていくらでもある。
これだけで特定できる訳がない。
どうしてもっとこの町のことを知っておかなかったんだとアルは後悔したが。
『病院…医師は男か?』
「いえ、喋り方は男っぽかったですが、女の人です」
『そうか、十分だ。直ぐにそちらに向かう』
「は、はい」
何故それだけで分かったのか疑問でならなかったが、そんなことは何時でも聞ける。
今はエドが目を覚ます前に来て欲しいと願うだけだ。
と、ロイは電話を切る直前に。
『…ありがとう』
「!!」
それだけ言うとぷつ、と電話の切れる音が響いた。
少なくともロイに期待してもいいと言われているようで、アルは安堵のため息を付いて受話器を置いた。
「…内乱以来か」
「そうだな…」
「お知り合い、なんですか?」
おずおずと聞くアルに、ウィズナーと呼ばれた医師は。
「俺がまだ軍に居て医師をやっていた時に、な」
「そう、だったんですか…」
アルはそれ以上何も聞かなかった。
大佐も、勿論自分も然りで、誰にだって話したくないことはあるんだから。
そしてロイが話題を変えるように。
「…鋼のの怪我は」
「頭を強打したらしく、俺が駆けつけた時には既に意識はなかったが、出血の割りに傷はそんなに酷くない。命に別状もないから安心しろ」
「そうか、」
張り詰めていた肩の力を、ロイはようやく抜いた。
と。
「………ん…」
微かにだが、エドの声だった。
それにアルも気付いたようで、身を乗り出して兄を見つめる。
「兄さん!?」
「はが…」
二つ名を言いかけて、ロイは口をつぐんだ。
今、エドを呼んでもいいのだろうかと。
私から別れを告げたのに、今呼んでもいいのだろうか。
しかし分かれたからといって、上司部下の関係がなくなるわけではない。
それにすがってでもいい。
言い訳だと言われてもいい。
今は只、側に居たかった。
「―――――…あ、る…?」
「兄さん…!」
薄く開いた瞳で、エドは一番に弟が視界に入ったのか、弟の名を呼んだ。
アルは自分の名を呼んだことで心から安心して、嬉しそうに言った。
ロイもまた、無事に目を覚まして言葉を発したことに安堵した。
そこまではよかった。
そこまではよかったのに。
「…ごめ、ん…」
「え?何言ってるんだよ!兄さんの所為じゃないんだから、」
次に出てきた言葉は。
「ごめん、な……右手一本じゃ…お前の魂しか…錬成出来なかったよ…」
「――――え…」
今、兄は何と言ったのか。
聞き間違いでなければ、今の台詞は、前に、一度。
「ごめん…」
と言いながらエドは左手で右腕に触れ。
「…え…?機械…鎧…?」
戸惑うエドに、ロイとアルは顔を見合わせて疑問を抱く。
その行動はまるで、そこで初めて自分の右腕が機械鎧であることを知るかのようで。
そこでロイはようやくちゃんとエドの名を呼んだ。
「鋼の…?」
その声に、エドはロイの方に顔を向け、ロイの顔を見た途端。
「ぃ――――っ!!!」
エドの表情が一気に歪んで、左手で頭を抱えて声にならない声と共に苦しみ出した。
激しい苦しみ方に、一歩引いた位置で見ていたウィズナーがどけ!と叫び、ばっと飛び入って対応にあたる。
二人はその様子をただ見ていることしか出来なかったが、アルには気にかかることがあった。
もし、さっきの台詞が聞き間違いでなければ。
「―――母さんを、錬成した時に…」
「…?」
アルの呟きにロイもまた疑問を抱く。
「まさか…兄さん…」
考えたくない。
考えたくないが、それしか考えられない。
「記憶が―――――?」
「!?」
二人は次にエドが目を覚ました時、ただの思い過ごしだったと、考えすぎだったと願わずにはいられなかった。
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04/06/01
ようやく本題って感じですかねー。
今回出たオリキャラはそれなりにいい役で頑張ってくれます(?)
とにかく豆っ子が悩むんです、はい。
大佐も結構悩むんです。