それから。
私たちは結婚したことをささやかに身内だけに報告し、エドは私の家で暮らすようになった。
あの日のやり取りはもしかしたらなかったのではないかと思うくらい、今までとなんら変わりない日常が続いて。
口論もしたり、相も変わらず錬金術の話をしたり。
エドはもう錬金術は必要ないのではと聞いたが、これは俺の趣味だからいいんだよ、と返されたこともあった。
そんな日常が当たり前になってきた時。
はっきりとではなかったが、エドは自分から抱いて欲しいとの意を示してきた。
正直、交わるということは少なからず互いに負担が掛かる。
だから私はもし、エドの命を縮めてしまったらと悩んで、思い留まっていたのに。
その意を告げると、エドは困ったように笑って。
でも、抱いて欲しいんだ。
と、そう言った。
何故かと問えば、恥ずかしそうに、そして困ったように。
―――証が、欲しいんだ。
俺が、この世界に存在してたって、証が―――。
それはつまり、私との子供が。
そこまで言って、手に口を塞がれた。
分かってるんだ。
俺が存在してたってことは、ロイが証明してくれるって。
でも俺は。
その意味もあるけど、何より。
ロイの隣に居たんだっていう、証が、欲しくて。
そんな風に言われて、断れる男が何処に居るだろうか。
だから私は、抱いた。
だがエドの言葉に流されたわけではない。
ただ私自身が、抱きたかったから。
そしてエドに、応えてやりたかったから。
それから一年近くして。
エドの心臓が気掛かりだったが、母子共に無事だとの報告を受けて、私は安堵した。
まだ、神は私から奪ってはいかなかったのだと。
まだもう少し、この幸せを噛み締めていていいんだと。
生まれたのは、エドと同じ金髪をした、男の子だった。
花 3
「エド、泣いてるぞ」
「…んー…」
「エド」
「〜〜ったく、自分の子あやせなくてどうすんだよ!」
キッチンに向かっているエドの後ろから聞こえてきた声は、しきりに子供を主張するように自分の名前を呼んで。
こっちだって飯作ってんだよ、と切れそうになる思いを押し留めて、エドは子供の下へ向かった。
「どうせ飯の時間だから、ミルク飲ませてやるだけなのに…」
「なんだ、そうなのか?」
抱き上げて、一端子供を泣き止ませ、ミルクを温めるために子供をロイに渡しながらエドが言うと、ロイはほっとして言わんばかりに。
「てっきり用を足したと泣いているのかと…」
「そんなにオムツ替えをやりたいんなら、今後はアンタ担当にさせてやろうか?」
「いや、勘弁してくれ…」
にやにやと笑うエドに、うな垂れて許しを請う。
その時に泣き止んで、手足をじたばたと動かしている子供が目に入って。
「そういえば、最低限しか泣かない子だよなぁ」
「あー、そういやそうだな」
生まれた子供は、もう直ぐ四ヵ月。
赤子は泣くことが仕事だから、今まさに泣き盛りで、今もあやしてもそう簡単には泣き止んだりはしないものだとヒューズから聞いていたが。
この子は空腹の時と用を足した時。
その時位しか泣こうとはせず、夜泣きで悩まされたことも無い。
それをヒューズに話したら、不思議な子が生まれてきたもんだなぁと苦笑していた。
「俺に似て、大人しいんじゃないの?」
「…誰が誰に似ていると?」
「あ、何だよその目」
それは無いだろうという目をエドに向ければ、ひでェな、という目で返されて。
「だからってアンタに似てるわけでもないだろ」
「何故?」
「アンタ似だったら、もっと泣いてると思うから」
我が侭なアンタみたいに、常にもっとー、とかこれは嫌だーとかって泣いてそうだから。
さらりと、酷いことを言われた。
「いくらなんでもそこまで…」
「や、似てなくて良かったなぁ」
「………」
けらけらと笑うエドに、もう返答の仕様がない。
確かに、少なからず自覚症状はあったからで。
いやしかし、とロイはここで引くわけにはいかなかった。
このままでは、子供のあやしも出来ず、エドの尻に敷かれてしまうことを恐れたのだった。
客観的に見れば、かなり子供っぽい理由とも取れるが、何にしろそれはおいて置き。
「…ところで」
「何?」
「いい加減、言葉遣いを直そうとか思わないのか?」
「話すり替えたな」
「いや、まぁ…って、問うているのは私だが」
また流されそうになるのを何とか引き戻し、問い直すと。
「んー…もう癖になっちまったからさぁ」
エドは性格が形成されていく大事な時期に、男として旅に出ることを決めたのだ。
元々言葉遣いは良い方ではなかったらしいが、もう体を取り戻したし、こうして子供も生んで、女として生きていくことが出来るのだから、もういいのではないかと思った。
だがエドの言うように、癖というものは困ったもので。
「一応、一時直そうと思ったんだけどさぁ」
今更っつーか、何つーか。
あ、別に敬語は使おうと思えば使えるからまだいいんだけど。
「私ーとか言うのがどうもダメっぽい」
「…それでは社交の場に出られないじゃないか」
何度かエドを食事会などに連れ出そうとしたことがある。
大総統になった今としては、ファーストレディは社交の場に欠かせない。
だからあまり喋らなくてもいいから、とにかく一緒に来てくれと頼んだが、逆に説得をされてしまい。
更に丁度妊娠が発覚して、連れ回すわけにもいかなくなり。
子供が生まれたら生まれたで、育児をしなければならないので、外に出るわけにもいかなくなって。
結局今まで一度として社交の場にでることはなかったのだ。
だからせめてこれからはと、思って切り出したのだが。
「まー諦めてよ」
一人称がどうしようもないんだから、出れねェだろ。
と、妙に納得させる理由を言われた。
「仕方ない、ということか…」
「そうそう」
正直心残りではあるが、あっさりと引いた理由は他にもある。
子供を生んでから、エドが確実に弱っていくのを知っていたからだ。
おそらくもう、走ることなど出来ないだろう。
普通に生活をする分には問題はないと、医者は言っていた。
だがそういう人に限って、急に訪れたりするものだとも言っていた。
結局、明確な命の期限は計れないということ。
しかしそれでも確実に。
エドは、死に近付いているということ。
「ん?何?」
「あ、いや」
無意識に、エドを見ていたらしい。
「何だぁ?もうボケたとか?」
「失礼だな、全く」
あはは、と笑いながら、ミルクを温めたエドはロイから子供を受け取り、飲ませ始めた。
(この光景を見ていられるのも何時までか―――)
また無意識に、頭に過ぎる。
日を追うごとに、確実にその回数が増える。
(一体…)
一体何時までこうしていられるのか。
そう思うと、エドの笑顔が。
少し、痛かった。
そしてまた、ある日の夜。
「寝た?」
「あぁ、今日は沢山暴れた所為か、直ぐに寝たよ」
「何か珍しかったよなー」
「そうだね」
そう、いつもなら空腹時と用を足した時以外に泣こうとはしなかった子が、今日に限ってずっと泣き止まなかったのだ。
何故か、今日に限って。
まあお互いに、子育てとはこういうものなんだと割り切っていたから、さほど慌てたりもしなかったが。
「今日は疲れただろう、エド」
「んー、流石に眠いかな」
先にベッドに入っていたエドに問うと、欠伸をして目尻に溜まった涙を手の甲で擦りながら答えた。
ロイはエドの髪を撫ぜながら。
「先に寝てていいよ。私は向こうを片付けてから…」
「いーじゃん。一緒に寝ようぜ?」
これからやろうとしていたことを遮られ、エドから誘われた。
普通に、珍しいと思った。
結婚してからも殆ど性格の変わらないエドが。
こうして誘うという行為はまずしてくれないエドが。
「……珍しいな?」
だから苦笑しつつも、空けられた自分の場所に体を入れて、顔を近付けると。
「…ま、たまにはさ」
いいだろ、こういうのも。
と、エドも少し頭を上げて顔をロイに近づけて。
「おやすみ」
「…おやすみ」
軽いキスを、交わした。
ふと。
エドは目を覚ました。
部屋はまだ暗く、窓の方に視線を向けてみれば、やはりまだ暗い。
今何時だろう、と時計も見ようと思ったが、それはロイ側にあって、体を起こして見るほどのことでもないか、とエドは力を抜いた。
何故か分からないが、体に力を入れるのが辛かった。
俺は向かい合って腕枕をしてくれている、ロイの顔を見た。
寝顔でも、整ってやんの。
心の中で、ずるいなぁという気持ちを込めて、俺は笑った。
反則だよなぁ。
こんなに、カッコ良いなんて、さ。
そう思って、俺はロイの頬に触れようと、手を伸ばした。
でもその手にすら、力が入らなくて。
頬に触れる前に、手は俺とロイの間に、とさっと落ちた。
あれ、おかしいな…。
寝る前までは、普通に動かせたのに。
あー、思ってる以上に、眠いんかな…。
そういえば心なしか、目が自然に閉じようとする。
でももう少し、ロイの顔、見てたいんだ…。
それは不思議と。
誰かに請うような言い方にも思えた。
多分、無意識なんだろうけど。
なぁ、明日さぁ、ロイも仕事休みなんだしさぁ。
三人で…散歩にでも行きたいよなぁ。
最近、ずっと仕事休みなかっただろ?
明日くらいは、仕事のこと忘れてさ。
ゆっくり、しようぜ?
声に出して言っていたつもりだったが。
気付けば、声は耳に入っていなかった。
おかしいな。
俺、喋ってんのに。
なぁロイ。
俺の声、聞こえねぇ?
そう言った声も、ただ自分の心と脳の中にだけ反響しているらしく。
声は、空気を響かせない。
変なの…。
まぁいっか。
明日起きたら、言えばいいだけだし。
どうだろ。
喜んでくれるかな。
笑って、くれるかな。
笑ってくれる。
そう思うと、自然と頬はほころんで。
楽しみだな。
早く、明日になんねェかな。
な、ロイ。
話しかけても声は出ない。
ロイは眠っている。
聞こえてないんなら。
何か、照れくさい事言っても、聞こえないんだよな。
くすり、とエドは笑って。
そういや俺。
ロイに、言ったこと、なかったよなぁ。
今なら。
今なら。
言えるかな。
エドの口が、言葉を形作る。
ま、でも。
明日。
言って驚かしてやろうかな。
朝起きて一番に。
言ってやろうかな。
「あ」
どんな顔、するかな。
「い」
朝から君は…とか言って、額とか押さえるんかな。
「し」
真っ赤になって、照れるんかな。
「て」
うわ、想像できて、笑える。
「 る」
楽しみだな。
早く、明日になんねェかな。
なぁ。
なぁ、ロイ―――。
そして。
エドはゆっくりと、瞳を閉じた。
幸せそうな、楽しそうな。
微笑を、浮かべたまま。
翌朝。
「―――朝か…」
ロイは珍しく、目覚ましがなる前に目を覚ました。
毎朝、ロイは朝一番にエドの顔を見る。
その日も、昨日や一昨日と同じように、横に居るエドの顔を見た。
エドは微笑みを浮かべて眠っていた。
何か幸せな夢でも見ているんだろうかと思った。
その幸せな夢から起こしてしまうのは申し訳ないが、夢に小さな嫉妬を持ってしまったロイとしては、起こさずにはいられない。
自分の顔を見て、その顔をしてほしい。
そう思って。
「おはよう、エド」
朝だよ、と言って。
エドの頬に触れた。
が。
「…!」
その頬に、温もりはなく。
ひんやりとした温度だけが伝わってきた。
一瞬で、理解した。
「…エド」
でも名を呼ばずにはいられなかった。
「エドワード」
例えもう返事をしてくれなくても。
「エドワード」
もう目を。
開けてくれなくても。
ロイはエドを抱き寄せた。
何を言うことなく。
何をすることなく。
ただ暫く、ずっと。
エドを抱きしめていた。
幸せだという微笑みを浮かべた、エドを。
後悔は、ない。
辛くも、なかった。
だが。
純粋な悲しみだけが、ただ。
心に、浸透していた。
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05/01/16
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