「どうした?入らないのか」


開かれたロイの部屋へと続く入り口。
ロイは先に入って、エドを通そうと扉を押さえ、横を通り過ぎるのを待つ。
その時一瞬躊躇したのが伝わったらしく、声を掛けられた。


「あ、いや、別に」


躊躇したのは、当然身に迫るかもしれない危険から。
でも大佐は知らないのだから、普通にしていれば気付かれることはないんだ。
そう、例え男の家で風呂を借りるとしても。



君の街まで 9





「先に君が使ってくれ」


ロイは浴室のドアを指しながら言うと、そのまま置くのリビングへと歩いていく。
エドは言われたものの、いきなり風呂に直行するという勇気はなかった。
風呂に入るというか服を脱ぐことが、だが。
見られるわけがないと思っていても、性別上、この不安が取れることはない。
逆に、男同士だからと見られる可能性も考えられる。
この微妙な板挟みの中で、風呂に入れと言われても。
そんなことを考えながらも、風呂のドアの前で少し止まって、ノブに一度は手をかけた。
が、やっぱり開けられるほど心は落ち着いてくれなくて。


「…いきなり使えって言われたって、」


着替えもねェんだし。
とにかく理由を見つけて、エドはロイを追ってリビングに入ると。


「あぁ、そうだったな」


思い出したように更に奥の部屋に行き、戻ってきたロイの手にはトレーナーとジーパンが畳まれてのせられていて。


「これに着替えたらいい」


と、エドの両手の上にそれを落とすようにしてのせた。
その仕草に、エドはどこか違和感を感じた。
雰囲気も、態度もいつもと変わらない。
ただどこか、自分と少し距離を空けているような、そんな小さな違和感を。
そして違和感と同時に過ぎった、また別の何か。


(まさか、な…)
「ども、」


そんな不安はやり過ごして、エドは一応礼の言葉を言って。


「じゃあ遠慮なく」


普通の態度で浴室に向かおうとすると。


「あぁ、言い忘れていたが、脱いだ服は洗濯機の中に突っ込んでおいてくれ」
「へ」


どういうことだ。
その言い振りはまるで。


「服を洗わなければいけないからな。ついでだ、君のも入っている間に洗っておいてやるさ」
「は!?別にいーよ!」


予想通りの言葉にエドは躍起になる。
が、言ってからこの反応はあまりに過剰過ぎると気付いて。


「あー、いや、ほら、錬金術使って蒸発させちまえば直ぐだし、自分で…」


乾かす、とそこまで言いかけてまた気付く。
だったら着替えもいらないじゃないかと。
かなりの勢いで矛盾している自分の言葉を取り消せたらどんなにいいか。
言葉に敏感な大佐のことだ、絶対に気付いていると、エドは肩を落としたが。


「だが服は乾いても、染み付いた泥は抜けないだろう」


君は洗濯などあまりしたことがないようだがな、乾いた泥は厄介なんだ。
と、案外普通に返されたことに少し驚いた。


「同じ服を何日も着ている君のことだから、尚更な」


何にしろ、洗うに越したことはない。
とロイはロイで、エドの服を洗うと引かないらしい。
ここで口論になれば、性別がバレることは必死。
もしかしたら自分で墓穴を掘ってしまう可能性が高いとエドは踏んで。


「……分かった、じゃあ頼むわ」


結局は、自分が折れるしか、選択肢は残っていなかった。











ちゃぽん、と水音が風呂場に反響する。
三十分近く泥まみれのままだった髪は、ようやく元の金色を取り戻した。


(……バレて、ないよなぁ…?)


ゆったりと力を抜いて、頭に出てきたのはそれだった。
何処となくぎこちなかった大佐の態度。
まるで、極力俺に触れないようにしていた気がする。
それ以外は別に変わらないから、余計にその部分が浮いてきて、不審に思う。


(バレてんのなら、逆に言ってくれた方が楽なんだけどなー…)


そう、言ってくれれば俺だって自分の意見をあらん限り主張できるのに。
自意識過剰かもしれないが、風呂を覗くなとか。
しかしだからって、俺から暴露は出来ないし。
もし大佐が知らなかったとすれば、秘密を知る人物が増えてしまうし。
中尉と少尉は不可抗力だから仕方ないけど。
そもそも、ばらしたくてばらしたわけじゃないし。


(…あーくっそ、どうしろってんだ…)


背中をバスタブに滑らせ湯に体を埋め、悶々しながら口元まできた湯をぶくぶくと鳴らしていると。
ガチャ、とドアが開く音が聞こえて、一瞬身を強張らせた。
けど、入ってきた人物は浴槽へと続くドアに映るだけで、開ける気はないようだ。
ほっとして、また体を埋めた。
映る姿は、位置からして洗濯機の前に居ると思う。
多分これから洗ってくれるんだろう。


(大丈夫だよな)


服を洗うと言われた時、一番心配だったのは下着だった。
でもかろうじて下までは濡れてなかったから、下着だけはこちら側に持ってきておいてある。
上は元々サラシしか巻いてなかったし、それも一緒に持ってきたから怪しまれることはない。
流石に男物の下着は気分が悪くて、男と偽っていてもそれだけは出来なかったから、下着は女物。
それを見られたら確実にバレる。


(まぁあとで問い詰められても、下着は濡れてなかったって言えばいいし)


それに他人に洗われるのが嫌だって言う奴もいるから、俺が言ったっておかしくないし。
とりあえず、気を抜いてもよさそうだ。


「はー…」


と、エドはようやく大きく息を吐けた。











自分の軍服も突っ込んで洗濯機のスイッチを入れて、ロイはリビングへと戻った。
髪は短いので、とりあえず洗面所で固まった泥だけを落とした。
全身が濡れたエドとは違って、ロイは上半身しか濡れなかったのが幸いしてか、エドを先に風呂に入れることが出来た。
曲がりなりにも女。
本人に気付かれていないとはいえ、女ということを知っているからには、先に入れないわけにはいかない。


(…少し、不審な行動をとったな…)


エドに服を渡す時、手を触れないようにしたこと。
一瞬、自分でも無意識だったその行動に驚いた。
気付いたのは、エドから礼の言葉を聞いた時。
それまで全く気付かなかったのだから。
多分、気付かれた。


(…おそらく…)


無意識に、自制していたのだろう。
触れたら、それもまた無意識に、そのまま引き寄せてしまっていたかもしれない。
エドには不審を植えつけてしまったかもしれないが、今思えば、懸命な行動だったと思う。


(冷静に、ならなければな…)


このあと、自分が中尉より、ハボックより先に女だということに気付いていたと、告げるのだから。
冷静さを欠いたら、多分、というより絶対に、激情が先走る。
押し倒したいという、抱いてしまいたいという激情が。
しかもハボックの一件があってから、先を越されたとイラつくことが多くなって。
勿論少尉からしてみれば不可抗力だが。


(だが、事実は事実だ)


触ったという事実がある限り、この感情が治まることはない。
それに少なくとも。
ハボックにも私に近い感情があるのだから。
そう考えれば考えるほど、眉間にしわが寄る。
こんな顔で話を切り出すわけにはいかないのに。
しかし。


「…ムカつくものはムカつくんだ…」


自分に対してため息をつけば、また眉間のしわが増えた。











温まった体を拭きながら、エドは目の前にある全身ミラーを見た。
目立つのは右手と左足の機会鎧。
胸は本当になけなし程度で、目立つも何もあったものではない。
男として通すには有り難いことこの上ないのだが。


(…現実として見りゃ落ち込むって…)


女としては致命的。


(そりゃあさ、締め付けてんのも悪いって思うけど)


隠していたサラシを巻きながらため息をついて。


(……今は、考えないようにしよう…)


と、割り切ってもう一度見た自分の体。
ふと古傷が目に入った。
イシュヴァールに潜り込んだ時に負った傷だった。


「…そういや、ずっと忘れてたけど…」


一体誰がやってくれたんだろうか。
あの後暫くイシュヴァールにいても、俺を見たことがあるような奴には会わなかった。
国家資格を取るときにもバレていないようだったから、軍人だとしても、そいつは誰にも言わなかったんだろう。
もしかしたらイシュヴァール人かもしれないが、どちらにしろ命は助かったし、誰にも言わなかったことは本当に有り難かった。


「傷は、残っちまったけどな…」


応急処置は完璧だったと考えれば、軍人の確率が高いが。


「まぁ、俺が悪いんだけど」


傷が残ったのは、その後の自分の処置がいけなかったから。
応急処置をしてくれた人に正直申し訳ない。


「もし…」


もし軍人だったら。
せめてその人には、礼を言いたいな。
とか思いつつ、トレーナーをくぐって。
エドは浴室を出た。











「あー、風呂、どうも」
「上がったか」


ロイは足音で気付き、額に当てていた手を外して言った。
エドは濡れた髪を拭きながらリビングへと入ってきた。


「アンタも入れば」
「いや、私はとりあえずいいよ」
「んだよ、俺ばっかじゃ意味ねーじゃん」


相手の言い分に、君ほど濡れていなかったしね、とつけ加えてもエドの顔は不本意なままだったが。


「けどよ、」
「それよりも、話があるんだが」


遮って切り出した途端、顔が変わった。
顔、と言うよりは目、だったが。


「…何、」


小さく低めの声で聞き返された。
エドには下手に回りくどく言っても、話は進まない。
色々思考を巡らせて、切り出し方を考えた結果。
率直に言った方が、早いと思った。


「……イシュヴァール内乱時、君は何処に居た?」
「…な、んで…」


エドは目を見開き、手が止まった。
そこでしまったと思っても、既に遅く。
白を通すつもりなら、何で、ではなく、何が、と言わなければならない。
それは例え不意打ちでも、焦っていても、だ。
けど、分かったことがある。
大佐と初めて会ったのが、少なくとも資格試験の時ではない、と。
そしてバレてしまったこともある。
俺がイシュヴァールに居た、と。
ここからは多分。


「…国家錬金術師が投入されて直ぐの頃、か…」。


おそらく。


「君は…脇腹に傷を負っただろう?」
「―――!」


何一つ、誤魔化せない。


「傷はもう、消えたか?」


そう悟った時、俺は背中に汗を伝うのを感じた。


「……それを知ってるのは…」


俺の知っているうちで、弟だけ。
だがもう一人確実にいる。
それは、傷の手当をしてくれた人物。
つまり。


「アンタが、あの時…」


俺を、助けてくれた奴だってのか。
目だけで、そう言うと。


「…助けた…と言うよりは…」


ロイの表情が少し陰った。


「あの傷は…」


私が君に、つけてしまったものだから。


「!」


今、何て。
じゃあ、あの時。


「あの時俺を殺そうとしたのも…!」
「そうだ、私だ」


はっきりと言われて、俺は殴りたくなった。
別にムカついたとか、憎らしいとかそういう感情より先に。
礼を言いたいと思っていたのは何処へやら。
ただ、殴りたくなった。
でも手が出ないのはきっと。


「…っじゃあ何で助けた!」


その真意を知りたかったからだと思う。
殺そうとしたのに助けた、矛盾した理由を。


「……イシュヴァールの残党かと思った」


だが一瞬見た君の顔を見て。


「青い空に映える君を見て…手が、躊躇った」
「…イシュヴァール人じゃ、なかったからだろ」
「違う」


違うんだ。


「あまりに綺麗で…」


ただ、それだけで。


「…っ」


そう言った大佐の表情が、嘘だ、違うと言わせてくれなくて。
俺はただ、立ち尽くすしか出来なかった。


「…言っておくが、君が女だと知ったのは、不可抗力だからな」


のは、一瞬で。
その台詞を聞いて、俺はもう一つ事実を知った。


「って、テメーその時に…!」


つまりは、手当てをしてくれた時に知ったってことで。
実際に、俺の体を見て知ったってことで。
確かあの時はサラシなんて巻いていなかった気がする。
言ってしまえば、生で見られたと。
その結論に達した時、俺は死ぬほど恥ずかしかった。


「落ち着け」
「つうことは三年近くも黙ってたんだな!」


そうとも知らずに俺は今までこいつと普通に会話をしていたわけで。
三年も、自分だけ優位に立って。


「エドワード、悪かった」
「んだよ、今更謝ったって許されることじゃねェ!」


三年も、ずっと一人でひた隠しにして。
馬鹿みてェじゃねぇか。


「だがいずれは言わなければならないだろう」
「じゃあもっと早く言えってんだよ!」
「だったら軍の奴らにバラされても良かったというのか!」
「な、」
「私しか知らなかったから、今君はここにいる」


感謝しろとは言わない。
元はと言えば私が蒔いた種でもある。


「…黙っていたことは謝る」
「…、」
「…だからもう」


危険なことはしないでくれ。


「…何、だよ…っ」


何だよ。
そんな顔したって、俺は頷いたりしねェのに。
それに。


「危険な目に遭わせたのは誰だよ!」
「だからそれは、」


謝ると。
言ったところでエドはもう聞かない。
言う暇も与えてくれなさそうだ。


「テメーが言ったって説得力なんてねェんだよ!第一そんな権利なんてねェだろ!俺は俺の思うように……っ!?」


だったら、強制的に黙らせるまで。
そう思った瞬間。
気が付けば。
エドをソファに押し倒していた。








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05/02/09
うわー何てところで…!
期待はしないで下さい。
ええ、期待されてもこの先は何も…。


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