何て小さな存在だろう。
―――恭弥。この子が、今日からお前の弟になるんだ。
何て美しいのだろう。
―――はい…。
新しい命というものは、これ程までに人を惹き付けるものなのだろうか。
―――頼んだぞ、恭弥。
父の声に導かれるように、小さな小さな手を握った。
(…あたたかい…)
それは興味と呼ぶには行き過ぎていて、執着と呼ぶにはまだ純粋過ぎるものだった。
―――はい。
この幼い弟に対して持った、感情は。
opening
ピピピピピ、と電子アラーム音が部屋に響き、雲雀は目を覚ました。
(……夢)
ゆったりと上半身を起こし、枕元にあるデジタル時計の響く音を切って小さく息を吐いた。
(……懐かしい)
ベッドの淵に座ったまま、ぼんやりと先ほどまで見ていた夢を思い返した。
雲雀が5歳の時に、弟が出来た。
だが血は繋がっていない。
養子として雲雀家に貰われて来たのだ。
義弟の本当の両親は生きてはいるが、子供を養える程の蓄えがないらしく、義弟の父親の友人であった雲雀の父が引き取ったのである。
と、義弟が来た当初、5歳だった自分にも分かるように聞かされた。
成長するにつれ他に知ったことと言えば、現実問題。
当初聞かされたそれは本当に表面的な説明だけだったらしく、後々父は向こうの家の経済状況、養育費など現実的なことを具体的に教えてくれた。
尤も知ったところで雲雀自身に直接関係することはなく、実際関係するのは全て実の両親と向こうの両親だった。
雲雀が出来たことはといえば、義弟に対して兄として振舞うだけ。
しかし雲雀はその振舞い方が分からなかった。
義弟がそこに居るとして、自分が何を話せばいいのか分からず、ただじっと見ているだけ。
幼い頃は、赤ん坊というのは触ったら壊れてしまうのではないかと思っていた、それこそ可愛らしい時期があった。
それは直ぐに違うと分かったものの、今度はじゃあどうすればいいのかという疑問が出て、それは現在まで続くという抜け出せないところに居る。
(…兄って、何?)
典型的一人っ子タイプ、という括りがあるのか定かではないが、あるにしてもないにしても雲雀は確実にそれに嵌っていた。
そんな自分の性格の所為か、義弟と話した記憶があまりない。
家に居れば二人は自室に篭ってしまうため、まず話はしない。
唯一の話す機会と言えば朝夜の食事の時間だが、それも中学生と高校生となれば違う。
その上、いつ帰って来ていつ仕事に行っているかも分からない放任主義の両親のもと、金だけを与えられて育っている故に、一緒に食事を摂るということ自体無理な話だ。
(…最後に話したのは、いつ、だったかな…)
それ以前に最後に姿を見たのはいつだったか。
気付いたら雲雀は高校3年、義弟綱吉は中学1年になっていた。
雲雀と綱吉の通う学校は幼稚園から大学までのエスカレータ式だ。
エスカレータ式と言ってもお堅い進学校のイメージはなく、どちらかと言えば家が裕福な学生たちが通う学校として有名であり、つまりは頭脳がなくとも金があれば入れるという印象が強い。
勿論優秀な学生も居るため、学校のイメージは金持ちだけの、と決して卑下することは出来ない。
その優秀な学生の一人が雲雀恭弥だ。
雲雀の才能は小学生の頃から発揮され、高校3年となった今でも全国模試トップを争う程の頭脳を持っているだけでなく、容姿端麗でもあるため上からも下からも慕う目、憧れの目を向ける人物は多い。
尤も雲雀自身はそういった他人の目には無頓着であるため、大して気にはしていない。
他人に関心がない雲雀であるからこそ、別な目を向けられてしまう存在がある。
「っと、悪ィ…って、何だよ、お前か」
「ぁ…、」
廊下を曲がろうとした時に、数人居た男子生徒の一人と肩がぶつかった。
男子生徒は相手が誰かと分かると、声を低くして蔑んだ目を向けた。
その目を向けられた相手は、何も言えなかった。
「あーあ、謝って損したぜ」
ぶつかた男子生徒がそう言うと、連れの生徒はこちらに顔を向けて軽く声を上げて笑った。
その場に居続けられなくなり、そそくさとその場を離れた。
(…なん、だよ…。そっちから、ぶつかって来たんじゃんか…)
文句を口に出すことはなかった。
誰かに聞かれれば、それだけで噂になる。
だからいつからか、自分は声を封印した。
少しでも噂の元を断つために。
尤も、自分の存在自体が噂の元であるため、完全に断つことなど元から不可能だが。
綱吉はそんな自分を自嘲染みた溜息で蔑んだ。
綱吉は廊下の片隅で自分の存在を考えた。
雲雀の義弟である、自分の存在意義を。
綱吉は生まれて直ぐ雲雀家に連れてこられ、雲雀家の一員として育ったため、自分の家はこの家だと信じている。
実の両親とは会ったこともない。
義父は好きな時に会っていいと言ってくれてはいるが、両親たちの方からそれを断ってきているのだ。
本人たち曰く、一度会ってしまったら今まで我慢して築いてきたものを崩してしまいそうだからだと、送られてきた手紙に書いてあった。
それでも実の両親の顔は知っているし、誕生日にはプレゼントも貰っていたから、それ以上望むことはないと思っている。
そう、実の両親に望むものは何もない。
あるとすれば。
(…雲雀の家に、俺が居ていい、理由…)
戸籍上は誰からも認められる家族の一員。
だが世間的には誰も綱吉を雲雀の家の者だとは認めてはくれない。
全ては出来の悪い自分がいけないのだと、思わざる負えない状況を作られた。
好きでこんな風になったんじゃない。
この家に来たんじゃない。
(好きで、生まれて、きたんじゃない…)
追い込まれて、自分の存在意義すらも見失った。
劣等感の硬い塊は、一体どうやったらなくなるのだろう。
否、一生なくなる筈がない。
どうやったってあの人には。
(ヒバリさんには、敵わないんだから…)
義兄さん、なんて呼べるわけがない。
自分なんかが呼んで良いわけが、ない。
紆余曲折して自分を蔑む度、どうやってもその結論に辿り着いてしまう。
辿り着く度、綱吉は俯く。
涙に頬を伝わせず、流しきるために。
(…懐かしいな)
放課後、雲雀は中等部の廊下を歩いていた。
高校の校長から話を貰ったのは数日前。
中等部の方で、今後のために自分の取材をしたいとかよく分からない理由だったが取材をしたいらしく、都合のいい日に校舎に足を運んで欲しいとのことだった。
中等部と高等部の校舎はさほど離れていないため、雲雀はいつでもいいと返事をし、今日に決まった。
(だから、かな)
今朝、懐かしい夢を見たのは。
応接室での中等部校長、生徒会長や新聞部の人間を交えての取材は、30分ほどで済んだ。
本当ならそのまま家に帰ろうと思っていたのだが、校長から久々に校舎内を歩いてみてはどうかと勧められ、特に急ぐこともなかったので雲雀は進められた通り、校内を歩いて回っていた。
制服が違うため少々目立つことを覚悟していたが、放課後は生徒は殆ど教室に残っていないのが幸いして、ゆっくり回ることが出来た。
「じゃあ、僕はこれで」
最後に校長や職員に挨拶し、雲雀は職員玄関から校舎を出て、裏門へ向かおうと歩いていると。
「
――っざけんな!」
男子生徒の罵声が耳に入ってきた。
思わず足を止めて聞き入ると。
「テメェ、いい加減にしろよ」
「俺らがどんだけ迷惑してんのか分かってんのか?」
「折角良心で実験チーム組んでやってんのによ、失敗ばっかされっと流石にイライラすんだよ」
「……ごめ、なさ…」
「雲雀の名折れもいいとこだよな」
「ホント、ヒバリさんに同情すんぜ」
雲雀という名が出てくるではないか。
これで無関係で通り過ぎては気が落ち着かない。
それに罵倒されているのは。
「
――綱吉」
義弟なのだから。
「…え…」
最初に気付いたのは、雲雀に背を向けている男子生徒たちではなく、生徒たちの肩越しに見えた綱吉だった。
「え、えぇ!?」
「ひ、ヒバリさん!?」
綱吉の反応と、雲雀の声で振り向いた男子生徒は、ビックリして叫ぶや否や、ごめんなさいと頭を下げて謝ると、脱兎の如く走って行ってしまった。
何とも言えない空気が残るも、互いに走り去った男子生徒のことはもう頭になかった。
「…苛められてたの」
「……」
雲雀の問いに、綱吉は俯いたまま答えなかった。
それを肯定と取ると、続ける。
「今日が初めて、ってわけでもなさそうだね」
「…」
「それにアイツらだけじゃないんじゃないの、苛めるの」
「…っ…」
無言と、息を詰まらせる音。
先ほどの会話から鎌をかけてみたが、おそらく全て当たっているのだろう。
「何で対抗しないの?苛められっぱなしでお前はそれでいいの?」
自然と苛立った声になる。
こんな事実があったことを知らなかったことと、綱吉がイジメを受け入れてしまっていることと、まだ何かがあったが、とにかく色んなことで気が立ってきた。
だから思わず口を突いて出てしまった。
「…雲雀の人間は、そんなに弱くないはずだけど」
「
――っ!」
綱吉が何よりも、恐れていた言葉を。
「…き、で…」
「え?」
「好きで、雲雀の家に居るわけじゃない…っ!」
今まで家の人間だけには言われたことがなかった言葉を雲雀に言われ、綱吉の中で張り詰めていたものが切れてしまったのだろう。
「分からない、ヒバリさんには分からないんだ、俺の気持ちなんか!」
「…つな、よし」
「雲雀家の名折れだ、恥だって言われる、俺のこと、なんか…っ」
今まで溜め込んでいたものを次々に吐き出していく。
「俺だって好きで頭が悪いわけじゃないのに、好きで雲雀の名を持ってるわけじゃないのに、」
当然、涙も伴って。
「…っ好きで、生まれた、わけ、じゃ…っ!」
「…綱吉、」
「嫌いなら、嫌いだって、はっきり、言えば、い…っ、」
自分の存在の意味は劣等感で覆われて、もう自分でも分からなくなった。
「…うっ、…く、…っ」
口に出して、頭の中で反響していく自分の言葉。
段々と涙が先行して、言葉を紡げなくなった。
「…お前、」
ずるずると壁を伝ってしゃがみ込み、喋れなくなった綱吉の傍に膝をつき、肩に手を置いて雲雀が少し顔を覗き込む。
「…そんなに、抱えていたの、」
そんなに辛く重いものを。
そんな小さい体で。
ずっと、一人で。
「何で、
―――っ」
何で言わないの。
そう言おうと思ったが、雲雀は言葉を呑んだ。
(…言えるはず、ない)
言えるわけがない。
家では話す相手がいない、学校では苛められている。
相談相手が居ないのだ、言えるわけがないのだ。
どうしてそれに気付かなかったのだろう。
いや、気付けるはずもない。
話もせず、顔も合わせない、その上自分には関心がなかった。
気付けるわけがない。
(…こんな風に、したかったわけじゃない)
この子をこんな風にしたかったわけがない。
ただ、自分は分からなかった。
怖かったんだ。
(接して、嫌われるのが)
この子がこんな風になってしまうくらいなら、自分が嫌われてしまった方がどれだけ良かっただろう。
嫌われたとしても、ただこの子が言いたいことが言えるならそれで良かったのに。
言いたいことも言えず、自分を出来る限り小さくしていくことしか出来なくなってしまった、存在。
それは、とても。
「
―――嫌いじゃない」
とても小さな存在だけど。
だからこそ。
「…嫌っていないよ、綱吉」
「……え…?」
愛おしい。
「…俺の、こと…嫌って、るんじゃ…?」
涙を溜めたまま、きょとんとした顔で雲雀を見上げる綱吉に、嘘じゃないという柔らかい表情を向けて。
「そう、思われても…仕方ないね」
家でも外でも顔を合わせず、言葉も交わさないとなれば、嫌われていると思うのが妥当だろう。
「ただ、分からなかっただけ、だよ」
「…?何が…」
「接し方」
言葉に出せばとても短いが、それを言えるまでが長かった。
今、こういう風に顔を見て話せていることが不思議なくらい、だがそれはとても自然だった。
「…こんなに、簡単なことだったのに、ね」
「…はぁ、」
同意を求めるように言えば、綱吉は疑問符を浮かべて返事をしてくれた。
他愛ないことだが、それすらも今は新鮮に感じる。
兄弟とは何がどういうものなのかまだ良く分からないが、こういう他愛ないものなのかと、少しだけ分かった気がした。
ただ名前を呼ぶだけでも、十分なんだと。
「さぁ、帰ろうか」
雲雀は立ち上がり、綱吉に手を差し伸べる。
「え、」
戸惑っている綱吉を他所に、自ら手を取って立ち上がらせ、手を離さぬまま歩き始める。
「ひ、ヒバリさん、」
「…さっきから思ってたんだけど」
ふと足を止め、雲雀は綱吉に向き直り。
「どうして苗字で呼ぶの。綱吉だって同じなのに」
「え。だ、だって、」
呼ぶとしたら、やはり義兄さん、だろう。
一応壁は少し崩せたみたいだが、自分なんかが呼んでいいとは、やはり思えない。
それを上手く言葉にする自信がないし、言ったら言ったでまた自分を蔑んでドツボに嵌ってしまいそうだった。
どう返そうかと考えていると、雲雀が。
「…まぁ、イイけど」
「え?イイんですか?」
「…うん」
そっちから言って来たのに、という綱吉の視線から逃げるようにして、再び歩き出す。
(…呼ばれたら呼ばれたで、どう返事していいか分からないし)
この壁を越えるのは難しいな、と互いに思いながら、二人は始めて一緒に帰路へと着いた。
勿論、手は離さぬまま。
「あ、そうだ」
「何ですか?」
「ちゃんと言ってなかった」
「はい?」
雲雀は繋いでいる綱吉の手を軽く引き。
「綱吉のこと、『嫌いじゃない』、じゃなくて」
唇を、重ねて。
「好きだよ、って」
これ以上ない優しい微笑み付きの、告白。
「な、な…っ」
空いている手で口元を隠す綱吉が、とても愛しく感じた。
初めてだ、こんな感情。
でも何故かとても、懐かしい。
まるで昔から、感じていたような。
「何だか…手放せなく、なりそうだね」
「えぇえええ!?」
困惑する綱吉に雲雀はふっ、と笑みを流して、また歩く。
重なった手は、家に着くまで一度も離れなかった。
(つか、兄弟って…こういうもの…だっけ!?)
綱吉の浮かんだ疑問に答えてくれるものは、誰も居ない。
居るとしたら。
ねぇ?
07/11/25
サイト4周年ありがとうございましたー!
ということで、アンケ1位のヒバツナで書きました、義兄弟モノ(笑)
一々説明入れたら長くなってしまった…あれれ(爆)
とりあえず5歳差で、雲雀がそれなりに大人になっているということで!ww
うーん、シリーズ化もいけそうだけど、どうかな(笑)
ブラウザでお戻り下さい。