数日後。
前以って担任が言っていた、志願票を記入する日がきた。


「じゃ、志願書記入は五限目にやるからなー。間違っても帰んなよー」


そんな担任の言葉で朝のSHRを終え、ヒューズは授業に備えて職員室に帰っていく。
生徒たちはといえば、一限目の数学の準備をして大人しく待つ奴、友達の所に駆け寄って時間のある限り話し込む奴などに分かれた。
そしてエドとアルはといえば。


「…エド」
「ん?」


前者に近い行動をしているかと思えば、そうではなく。


「…あの人から、何か聞いてない?」
「何かって、何」
「…いや、別に…」


アルは、数日前にロイに言われたことを知っているかどうかを遠回しに聞いた。
が、あの人、と名前を出しても反応がないということは、聞いていないのだろう。


(…そんなことだろうとは、思ったけどね…)


話していないのは予想の範疇だった。
そもそも、僕にだけ言うようにわざわざ待っていたんだから、言うはずがないんだけど。
それでも、言っていたら。


(…僕の言葉が、少しでも効いているかと思ったのに…)


二人の溝は、埋まっていたのに。
どうしてあんなに、不器用なんだろうか。
血が繋がっているとかいないとか、そんなのは関係ない。
ただ二人の気持ちがどうなのか。
それさえあれば、いいのに。



進路 4





この中学は私立ではないから、入学してきた生徒たちは、志願票の書き方なんて知らない。
まれに私立受験に落ちて入ってきた者もいるが、大抵の場合は親に書いてもらったことが殆どだろう。
だから志願票の記入間違いをさせないために、担任が丁寧に教える。
高校受験ともなれば高校が多種多様にあり、その高校によって志願票も異なるが大本は変わらない。
違う部分は個別に、同じ部分は全員で一緒に記入する、というのがエドたちの通う中学の方式だ。


「いいか、この部分に名前、住所、電話番号を書くんだぞ。間違いそうな奴は下書きしてから書けよー」


受験校に合わせた記入見本を配りつつ、ヒューズは黒板に重要な部分を挙げていった。
皆が周りの友達と色々話しつつも、真剣に記入していく中。
アルはずっと、エドの行動を伺っていて。


「…で、どうすんのエド」
「っ、」


名前、住所は書いた。
が、その後もスムーズにいくはずの作業を、校名を書くことを始めないエドに、アルは頬杖を付いて話しかけた。
エドはびくりと体を揺らせて、それで答えた。


「…まだ、書いてないみたいだけど」


それは迷っている証拠でもある。
おそらく学校の校風とか、偏差値とか、そういうところで悩んでいるのではない。
寮に入るか、家から通うか。
夢を取るか、義兄を取るか。
その二択なんだろうと。


「…お前、こそ」


反撃するようにエドが刺さるような目を向けてくる。
確かにアルも校名は書いていないが、それは既に心決まっているからであって。


「僕はエドがその部分を記入したら書こうと思ってるだけで、書くことは決まってるから」


エドと、違ってね。
今度はアルが厳しい視線を投げた。
それはエドのもの以上に、突き刺さって。


「……何で…」


何で、そんな目で俺を見るんだよ。
まるで俺が間違ったことを書こうものなら、志願票を破いてしまうような、そんな。
どことなく怖くて、それは口に出せなかったけど。


「…書けば、いいじゃんか…俺に構わないでさ…」


視線が痛くて、エドは目を逸らした。


「それじゃあ、僕の気が済まないから」
「は?」
「エドが迷いを断ち切って、すんなりその項目を書けるようにならないと納得いかなくて」
「納得…?」


エドに疑問符を投げかけられて、アルは体をエドの方に向き直して。


「…エドは、寮に入って…整った環境で、勉強するのが最良の選択だと思う?」
「ぇ…」


それは、ロイに言われた言葉だった。


「確かに、それがいいって言うやつもいると思うけど…」


僕は、そうは思わない。
良い環境で勉強することだけが、夢までの道じゃないし、何より。


「何より、あの人の傍を離れる辛さを選んでまでして、勉強する価値なんてあるのか?」
「…っ」


離れたら、絶対辛いに決まっているのに。
絶対後悔するに決まってるのに。


「…エド、エドは本当にそれでいいのか?」


今気付いた。
数日前あの人に言った言葉は、あの人に言うべきことじゃなかったんだ。
大人に染まりきったあの人にじゃ、意味を持たないんだ。
この言葉を言う相手は、エドだったんだね。
今この時を、この時間を生きている、高校受験を控えているエド自身に言わなければならなかったんだ。


「…辛くなるために、後悔するために、高校に行くんじゃないだろ?」


後悔して、夢なんて叶えられるわけがない。
叶えられたとしたって、そんな夢に達成感なんてあるのか?


「…アル…」
「どんなことがあっても夢を叶えること、追い続けることも大切だと思うよ」


けど、今は。


「今は、今しかないんだ」


俺たちが今を生きるのは、今しか出来ないこと。


「なぁエド…お前は今を…今を、どう生きる?」


どう生きたい?


「…俺、は…」


アルの言葉は、深く突き刺さった。
今まで考えもしなかった。
今を、どう生きるかなんて。
ただ高校に行って、大学に行って、夢叶えて。


「……俺は…」


それしか、考えてなかったけど。
どう生きたいか、そう言われて、思い浮かんだのは。
あの人。
勉強でも夢でもなく、あの人だった。


「俺は、」


俺はボールペンを持った。
持って、校名の部分にペン先を当てて、書いた。


「勉強は何処でだって、教えてくれる奴がいなくたって何とかなる」


書き終えて、ボールペンを置いて。


「夢だって、叶えようと思えば叶えられる」


アルを見て。


「けど今は、今しかないんだよな」
「エド…」
「だから俺は、今を選ぶよ」


後悔っていうのは、後から悔やむからそう言うんだろ。
それに、今があるから後悔ってことがあるんだろ。
だったら、後悔くらいいくらでもしてやる。
この選択が間違ってるっていうんなら、あとで知って、後悔して、思い出せばいい。
今、この選択をした時を。


「…そうだね」


ぽつりと言うと、アルもボールペンを持って、書いて。
そしてその紙を俺の方にぺらっと見せて。


「だから僕も、今を選ぶよ」


納得したように、微笑んで。


「これで、後悔する時は嫌でも一緒だからね」
「…アル…」


俺は、ふっと笑った。
全ての荷が下りたからか、俺は笑うことができた。
アルの前でこんなに自然に笑ったのは久し振りな気がする。
でもこの笑いには、今までより価値のあるものだと思う。
少なくとも、勉強よりは。
と。


「よーし、皆書いたか?書き終わった奴から前に持ってきてくれー」


担任の声が教室に響いて。
俺とアルは、同時に席を立って、教卓に志願票を出した。
そして席に戻ると、アルが。


「偶・然、同じ学校になったわけだけど、とりあえず来年から三年」


またよろしく。
と、意味深な笑みを込めて言った。
偶然、の部分が強調されていたのは気のせいではない。
それを聞いて俺は。


「その台詞、大学受験の時にも聞きそうな気がすんだけど?」


頬杖をついて笑って言うと、アルも笑って。
暫く、笑い声を堪えるようにして笑い合っていた俺たちが、居た。











アルとの違和感はとれたものの、相変わらずロイとの会話はぎこちないままで。
互いに、俺の進路のことには上手く触れないで過ごしてきたのは一日二日のことじゃない。
慣れてしまった、と言えば変な話だが、その話を出さなくとも普通に過ごせるものである。
が、根本的な問題は何も解決していない。
特に、ロイの方は。


「んじゃ、行ってくる」


俺は靴を履き、見送ってくれるロイの方を向いて言った。
珍しく立場が逆なのは、俺の受験日とロイの有休が重なった偶然かららしい。
といっても有休は望んでとるものだから、見送ってくれるために合わせてくれたと思って間違いないと思う。


「ああ、頑張って」


少し、複雑な表情だった。
応援はしてくれてる。
けど、それは心からのものじゃない、と思う。
それはロイがまだ、知らないから。
俺が決めたことを、知らないから。


「…おぅ」


今、は言えない。
けど、一週間後。
合格発表の時には必ず、絶対、言うから。
それまであと少し、もう少し。
待ってくれ、な。
そんな想いを込めて俺は短く返事をして、玄関を開けた。











エドの出て行ったドアを暫く見ていたが、ふと視線を横にある鏡に向けると。


「…こんな顔で、見送っていたのか…私は…」


こんな、複雑な顔で。
わざわざ有休までとって、この日を控えていたというのに。
此処まで来たら、もう後戻りは出来ないということを、分かっていたというのに。
それでもまだ、心の何処かで思っていた。
出て行くエドの腕を、掴んでしまいたいと。


『良い環境で勉強することだけが、夢までの道じゃないでしょう』


分かっている。


『…辛くなるために、後悔するために、高校に行くんじゃないんですよ』


分かっている。


『…本当にエドのことを思っているんなら、そんなことは言わないと思うんですけどね』


分かっている。


「…分かっているさ…」


だが、それ以外の方法を私は知らないんだ。
何がエドにとって正しいことなのか、何が間違っているのか、分からないんだ。


「だが、私はもう、子供のように…我が侭など言えないんだよ…」


傍に居て欲しいだなんて。
そんな我が侭。


「…こんな俺より、自分で進路を決める…エドの方がよっぽど大人に見えるよ…」


大人として、保護者として。
ここは、何も言わない。
エドの選んだ道を、ただ見守る。
それがおそらく、我が侭を押し殺した私の、我が侭。
矛盾しているとは分かっているが、それが最良の選択なんだと、私は思った。


「…これで、いいんだろう…?」


誰に言ったわけでもない言葉が、広い廊下に響いた。











そして。
合格発表当日。


「ただいま」


今回有休は取れなかったため、いつも通り仕事を終えて帰ってから、ロイは結果を知ることとなる。
玄関を開けて言えば、奥からどたどたという足音が聞こえてきて。


「よー、お帰り!」


満面の笑顔のエドが目の前に現れる。


「…ただいま」


その笑顔に対して、心からの笑顔を見せられない自分が恨めしい。
もう一度言った言葉には、それが見て取れる程だった。


「今日合格発表行って来たんだぜ」
「あぁ、知ってるよ」


勿論、合格だろう?
そう言うロイの言葉には確信があった。
エドのことだ、不合格ということはまず有りえない。


「ちぇ、そんなんじゃ言う楽しみがねェじゃねーか」


ぶすっと唇を尖らせて持っていた紙で顔を仰ぐ。


「エドも合格発表の楽しみはあんまりなかったんじゃないか?」
「…そりゃ、まぁ」


でもそれとこれとは別だろ、と今度はロイの方に紙を向けて指す。
エド自身、解答はほぼ完璧だと豪語するくらいだから、合格発表と言っても確認程度でしかないんだろう。
頭の良い受験生を落とす訳がないのだから。


「ま、合格は合格だし」
「そうだな。…おめでとう」


嬉しさが、こみ上げてこない。
喜びを込めて、言葉を言えない。
だからだろうか。


「…近いうちに、準備を始めないとな」


引越しの。
そう言ってしまった。


「え…」
「…ぁ、」


目を丸くするエドを見て、我に返った。


(今私は何て、言った?)


ろくに祝いもしないで、いきなり引越しの話を切り出す奴があるか。
しかも明らかに投げやりに。
これじゃあ、認めなくないだけじゃないか。
もう、後戻りはできないというのに。


「…いや、すまない…」


少し、不謹慎だった。
そう呟いた言葉の後。


「ほら」


エドが私の顔の前に、持っていた紙を掲げた。


「…?」


目に入ってきた文字は受験票の字。
これが一体何だというのか。


「よく見てみろよ、下の校名」


言われて、下に視線を流すと。


「…これ、は…」


単純に、驚いた。
今の今まで思っていた校名と違う校名が書かれていたのだから。


「…アルから、聞いた」


アンタが、俺のことを考えて悩んでてくれたこと。
受験票で顔の間を遮ったまま、エドが喋り始めた。


「…でも、俺も悩んだ」


アンタの期待に応えたい。
夢も、叶えたい。


「そのためには…寮のある、あの高校の方がいいって思ったんだ」


けど、俺はそれしか見えてなかったんだ。
夢と、期待って文字しか。
夢も期待に応えることも、勿論大事だと思う。


「だからって、後悔するって分かってる方を選ぶのは、違うって思った」


だって俺が生きてるのは、他ならない今だから。
そう言って、紙を掲げていた腕を下ろして、隔てていたものをなくして。
ロイの、目を見て。


「―――俺は、此処に居ることを選ぶよ」


そして、玄関の一段越しに、体重を預けた。


「エド…」
「…もっと早く言えてりゃ良かったんだろうケド…」


やっぱ、色々終わってからの方が言い易くて、さ。
今日まで延びちまって。


「悪ぃ」
「………」


恥ずかしさからだと思う。
素直に、謝れないのは。
だが大切なのは、言葉じゃない。


「…私は既に、後悔していたんだ」


君のことを考えたつもりが、苦しめていたんだと。
もう来月からは、一緒に過ごせないんだと。


「ただ一言、言えれば良かったのに…」


傍を、離れないでくれと。
エドの背中に腕を回して。


「私も、悪かった」


互いに謝ったけど。
どっちかが悪いなんて、もうどうでもよかった。
大切なのは、言葉じゃない。
俺たちの気持ちがどうなのか。
それだけ。











「…なぁ」
「何だ?」
「そろそろ離せよ」
「いいじゃないか」


久し振りの抱擁だ。
そう言うロイの言葉には、何処となくいやらしさが感じられて。


「ざけんな、しつけェ」
「ここ最近抑えていたんだ、察してほしいね」


逆に、腕に力を込められた。
別に悪い気はしねェけど。
やっぱ、限度ってモンがあんだろ。


「…何も出来ねェだろ」
「何もしなければいい」


あーこりゃ完全に駄目だ。


「〜〜ったく!」


これからいっくらでも出来んだからいいだろ!
と、思わず叫んで突っぱねれば。


「…それは、これからいくらでもしてもいいと受け取っても?」
「…は」
「いや、嬉しい申し出だな」
「いや待て、」
「じゃあ早速」
「って今からかよ!」


ひょいと担ぎ上げられて、俺はロイに全体重を預かられた。


「テメェ、元の鞘に収まれば…」
「元の鞘ではないだろう?」
「あぁ?」
「私たちは新たに確認し合ったんだよ」


互いの、気持ちをね。


「だー!恥ずかしい奴だな!ってオイ、待て、待てっつの!」


ロイの言葉もあるが、暴れに暴れて真っ赤になりながらも二階に繋がる階段を上がり出すロイを必死に留めるが、止まってくれそうもない。


(くそ、早くも後悔したい気分だっ!)


こればかりはアルと一緒に後悔なんて出来るわけがない。
ただこういう後悔なら、少しは有りかななんて思う辺り。


(嬉しいんだよなぁ…)


そう思って、俺は力を抜いた。








何はともあれ。
来年度から少なくとも三年は、この家には以前と変わらぬ光景が展開されることになった。
勿論、二人の納得の範囲、で。





END.


05/03/27
何か凄い大袈裟になったようですが…(汗)
この二人にとっては大きな出来事だったんだと思ってやって下さい…。
学校での進路についての対等とか、高校のこととか寮のこととか色々ツッコミ所が多いですが、
こういうもんなんだと思って頂ければ幸いです…!

書いて思った自分での突っ込み。
・都会での一時間は大したことではない(爆)
・エドの夢は一体何だ(決めてない/死)
・ちょっと最後は書いてて変だと思った(馬鹿正直)

でもアルとエドのやり取りは好きでした(痛笑)
真剣に進路で悩むのって凄いなぁ…!(自分経験なし/痛)
ではお付き合いありがとうございました!
裏ネタはまた…今度!(爆死)


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