その日は激しい雨が降っていて、小さな音は全て雨音に掻き消されてしまっていた。
だが、何故か声が。
私には、声が聞こえたんだ。
cat and dogs
自宅へと急ぐ自分の足音だけが辺りには響き渡る。
時刻はまだ夜へと変わる前の夕時だったが、雨雲の所為で当たりは既に薄暗く、激しくなっていく雨足に辺りに人もいなかった。
傘を差していても横から吹く風に煽られ、下半身は今まで歩いてきた道程の分、既に湿り気を帯びていて、歩きやすい状況とは言えなかった。
早く家に帰ってとりあえず着替えたい。
などと思いながら傘を風上に向け、歩幅はそのままにスピードを上げて歩いていた時。
「…?」
ふと、足を止めた。
遠くから車が水溜りを通る音が聞こえてきたりしたが、この近辺には雨音だけしか聞こえない。
だが、聞こえた気がした。
雨音とは別な、何か小さな音を。
(…気の所為…)
と思うには、自分は確信を得過ぎた。
だからこのまま通り過ぎてしまうわけにはいかず、一先ず辺りを見渡す。
小さな音だったから、反対の歩道から聞こえてきた可能性は少ないし、前後で何かがあったとも言い難い。
となると。
(この、路地か…)
足を止めたところは丁度家と家との隙間の路地。
それにそこは他とは違って、家を挟んだ反対側に抜けられるように作られた路地だから比較的広い幅を持っていた。
そして左右に色んなものが捨てられているこの路地に、何かが隠れている可能性が高かった。
「……」
不安と好奇心を抱きながらぱしゃん、と路地に入る所にあった水溜りに足を突っ込んだ瞬間。
「――――、」
少し先で、何かが動いた気配がした。
(…動物…いや、人間か…?)
人間と動物の気では明らかに違うものがある。
此処に入るまで警戒するようなものはなかったが、今は明らかにこちらを伺って息を潜めている。
「…、」
しかしこちらとて一度気になってしまったからには、確かめない限り帰ろうとは思えなくなった。
だがこのままお互いに出方を伺っていたら暫くはこのままだろう。
少しでも早く着替えたいのは変わらない。
となると。
(こちらから動くしかない、か…)
ふぅ、と一度小さく息を吐いて、一気に距離を詰める。
そして気配のするあたりを覗き込めば。
「―――――っ!」
金髪の、体型から見て子供が、体を小さく丸め頭を抱えてこちらに背を向けていた。
よくよく見れば、腰より下から何か長いものが見え隠れしている。
更に抱えている頭には、明らかに髪の毛とは違う形のものがくっ付いている。
私はそれに目を奪われていて、怯えるように頭を抱えていた子供は何もしようとしない私に対して恐る恐る腕を下ろし、私を見上げた。
「…君、は…」
「……、」
ふと出た言葉に答える声は無く、子供はただ。
恐怖を纏い、それでいて私を威嚇しようとする金色の瞳を向けたまま、ただじっと睨んでいる。
その瞳は、薄暗い路地に強い光を放っていて。
純粋に綺麗だと思ったのはおかしいだろうか。
「……、」
何も言わない子供は、暫くすると私から視線を逸ら、また背を向ける。
と、鮮明に見える頭についた獣の耳らしきものと、尾らしきもの。
いや、これは完全に耳と尾だ。
だがそうするとこの子供は。
「…合成獣…?」
「――っ!!」
呟いた声に肩をびくり、と揺らすという過剰な反応が返ってきた。
それは誰が見ても肯定を示す態度。
しかも人間と獣の、禁忌とされている合成だった。
この際合わさってしまったものは仕方がないの一言で片付けられないにしても、何故この子供はここに、雨に打たれているのか。
「……たも…」
「え?」
子供の小さな声は雨音に消されてしまい。
聞き返せば、子供は壁に背を預けるようにして弱々しく立ち上がると。
「…アンタも…俺を、捕まえに来たのか…?」
それに私は少し目を見開いて答えた。
そして何故怯えていたいたのか。
(そうか、逃げてきたのか…)
おそらく、子供は私じゃなければここまで怯えはしなかっただろう。
私に過剰に反応したのは、私が軍服を着ていたからだ。
そう考えると、合成獣の研究を行っていたのは一般機関だとしても、裏で指示を出していたのは軍人。
必死に、逃げてきたのだろう。
だからこんなに怯えて。
疑うことしか出来なくなって。
「―――私は、軍人だ」
「…っ、」
目を閉じて言った言葉に、子供が警戒を強める様子が空気を通じて伝わる。
「だが」
目を開けて、子供と目を合わせて、逸らさずに。
「……ぇ…」
持っていた傘を、子供の上に翳して。
「残念ながら、既に勤務時間を終えていてね」
今はただの、一人の人間だ。
そう言うと子供は目を見開いて、ただ私を見上げる。
ようやく、子供の本音の部分を垣間見れた気がした。
「…おいで」
ここは冷えるから。
「…、」
手を、差し伸べられたわけじゃなかった。
強制されているわけでもなかった。
だから、戸惑った。
こいつの言葉に、答えるのを。
「……っ、」
答えることが出来なくて、困惑の視線が泳ぐ。
と。
「…、」
ふとかち合った視線。
けど男は逸らすことなく、微笑った。
それは全ての決断権は俺にあるんだ、と言っているようで。
今まで、そんな奴いなかった。
いつも全部勝手に決めて、俺の意見なんて無視で。
自由なんて、なくて。
俺が決めていいことなんて一つもなかったのに。
それをこいつは、当たり前のように俺に委ねてくれて。
だからこいつなら、って。
(こいつなら、俺―――)
傘は頭上に差されたまま。
その傘の柄を握っている男の手に、おずおずと自分の手を重ねた。
それで悟ってくれたのか、男は俺の腰に手を添えて引き寄せて。
「ぇ―――」
片腕で抱き上げられたんだと気付いた時には、もう男の足は動いていて。
「…っ!」
びくっと反射的に身体が跳ねて、子供は腕で男の肩を突っぱねた。
「…なせ、離せっ!」
「っ、おい、暴れ、」
「下ろせ!下ろせよっ!!」
「…?」
あまりの暴れように、流石に足が止まり、傘も落とした。
宥めようと思って大丈夫だと声を掛けても、それでもただ離せ、下ろせの繰り返しで一向に治まらない。
これはただ嫌がるだけでなく怯えているとしか考えられない。
手を自ら伸ばしてきてくれた子供が、まだ私に怯える要素があるとすれば。
(…連れて、いかれるというのが怖いのか…)
完全に心許されたわけじゃない。
だからまだ怯えていて当然だ。
しかしそうこう考えているうちに、これ以上自分の上で暴れられたらそろそろ勢いで拳の一つも飛んで来てしまうかもしれない。
そう思って私の体がとった行動は。
「…っな!」
子供を、抱きしめるということ。
「っ嫌だ、やめっ、」
「大丈夫だ」
「嫌だ…!」
「大丈夫」
「…っ…」
突っぱねる力が弱くなっていく。
同時に私に伝わる体温。
ずっと雨に当たっていた所為か、子供の身体は冷たかった。
と。
「…?」
もう一つ、伝わって感じたもの。
「君…」
女の子だったのか。
そう呟くと。
「―――っ!」
抱いている身体が一気に緊張していくのが分かった。
私が原因を作ったとはいえ、このままでは折角治めたのにまたぶり返してしまう。
だから今度は大人しく、身体を離して子供、いや少女を下ろしてやった。
「っ、」
解放された途端、ばっと一歩後ろに下がり、目を吊り上げて私を警戒する。
「……すまない、」
その警戒を解く為に、素直に謝罪の意を示す。
実際少女とはいえ、少し傷つける言い方をしてしまったのかもしれない。
気の強い所を最初に見てしまった所為か、無意識に少年と決め付けていた自分がいた。
雨に濡れる長い金髪と、綺麗な顔、そして華奢な身体が。
「こんなに、可愛いのにな…」
顔を緩めて漏らせば、少女の顔が一気に主に染まる。
「っそうゆうことじゃねェっ!」
顔を合わせ難いのか、顔を逸らして叫んだ。
「…ってか、俺はそれ以前に嫌だっつってただろ…っ」
少女の顔が、見る見るうちにまた元の表情に戻る。
「―――嫌なんだよ…連れてかれんの…」
少女はぎゅ、と自分の服を握って何かに耐えるようにして。
「怖いんだ…、」
否が応でも、俺の身体が思い出す。
連れて行かれることの恐怖を。
「怖いんだよ…っ」
今度は、悲痛な表情。
何故、この子はこんな表情が当たり前になってしまったのだろう。
誰がこんな、酷いことしか植えつけなかったのだろう。
救ってやりたい。
温もりを、与えてあげたい。
「……私が、怖いか…?」
「…っ、」
困惑の瞳が揺れる。
困らせているのは分かっている。
だがこの少女が自ら望まない限り、きっと与えることは出来ないだろう。
「怖いのなら、私はこのまま身を引く」
「っ、」
「だがもう一度…私の手を取ってくれるというのなら…」
右手を差し出して。
「君を、暖めてあげられる」
「…っ!」
どうして。
どうして、アンタはそんなに優しいんだ。
どうしたらいいか分からない。
分からなくなる。
分からないけど、でも。
「……今まで、俺に話しかけてきた奴は皆嘘ばっか言ってた…」
男は手を差し出したまま黙って聞いてくれてる。
「っでも、…でもアンタの言葉の中に、嘘は混じってなかったし……俺、そういうの、分かるから…」
この身体になって、そういうのには敏感になったから。
だから嘘とか、裏があるような言い方されると、直ぐ分かる。
そう正直に言うと、男は微笑んで返してくれるだけ。
けど嬉しい心遣いだった。
もしかしたら、全部話せるかもしれない。
今の俺にはまだ無理だけど。
「――正直、俺はアンタを…信用してる、わけじゃ、ない」
けど、アンタなら。
「けど、アンタは…悪い奴じゃ、ない、と思う…から…」
少ししたら。
話してもいいかなって、思った。
アンタになら、いいかなって。
「…そうか」
だから。
ほんの少しでいいから。
「……君の、名は?」
男は差し出した手で俺の頭を一度撫でて、目線を合わせて少し屈むと、そう問うて来た。
俺がえ?と声には出さず首を傾げてみせると、男は呼び名がないと不便だろう?と微笑って言って。
その微笑みにも嘘はなかったから、素直に。
「―――エド」
エドワード。
そう名乗ると。
「エドワード、か…」
良い名だな。
「…!」
なぁ。
「……っ、」
「エドワード?」
二度と、呼ばれることがないと思っていたその名。
軍人たちからは番号で呼ばれ、父も母も殺されてから、もう俺の本当の名前を呼んでくれる人なんて、いないと思っていた。
ずっと、口には出さなかった自分の名。
それを口に出して、呼んで貰って。
「…悪ぃ…」
涙が、溢れた。
優しい声で自分の名を呼ばれることがこんなに嬉しいことだなんて、知らなくて。
知らなくて、勝手に涙が溢れた。
「少しだけ…」
少しだけ、こうさせて。
「……」
体を寄せるわけでもなく、ただ右手を伸ばしてきて。
私の服の裾をきゅ、と小さく掴むだけ。
たったそれしか望まないエドワード。
だから、与えてあげたかった。
人肌という温もりを。
温かいという、感覚を。
小さな身体に付けられた沢山の見えない傷に、温もりを流し込むように。
抱きしめる、という行為で。
なぁ。
ほんの少しでいい。
(こいつなら、俺―――信じて、みたい…)
だから。
ほんの少しでいいから。
甘えても、いいかな。
END.
05/09/15
サイト開設から2周年、こうしてまだ話を書いていられるというのは幸せなことだと思います!
この日を迎えられたのも色んな方々のおかげです!
本当にありがとうございます…!!
またいつものようにささやかではありますが、話を上げさせてもらいました!
相変わらず成長しない文章ですが、少しでも楽しんで頂けたらそれだけで十分です!
ということで(爆)記念小説の1つはロイエド子、しかも猫化であります!
祝い事なのにこんなローテンションでいいものかと思いますが(苦笑)
一度は書いてみたかったので、この機会を使わせてもらいました(爆)
実はロイエドverもあるんですが、これはまたの機会に(苦笑)
前半は一緒ですが後半が違うという。
えーと、もっと何か色々気の利いた言葉とか言えたらいいんですが、
もう私にはお礼の言葉しかないもので…!
こんなところですが、これからも宜しくお願い致します!!