「…あちぃ…」
ぽつりと呟いた言葉は、近くの木に留まっているだろう何匹かの蝉の声に直ぐにかき消された。
墓石が並んだ一角の周りは都会の割に緑が多く、夏は毎日蝉の大合唱が聞こえるのだろう。
尤も盆と今日以外には足を運ぶことはなく、蝉の声を聞かなかったことはなかった。
九月に入りそろそろ残暑が終わってもいい時期なのだが、毎年この日は蝉の声をきく。
そして思い出すんだ。
あの日は、蝉の声なんて聞こえなかった。
と。
バースデーパラドックス
「何か食べたい物はあるか?」
ロイは帰宅して直ぐ、唐突に玄関先でエドワードに尋ねた。
何故そんなことを聞かれるのか見当もつかなかったが、とりあえず食べたい物があるかという問いに対しては素直に首を横に振って答えた。
「そうか…じゃあ適当でも良いか?」
食べたい物に関してはそれに異論はなかったので頷いたが、この話題を出した真意を知る必要はあるだろうと思い、エドワードは頷いた後に問いを返した。
「つか、何、急に」
「え?何でって……っ、」
答えようとしたロイが言葉に詰った。
それはまるで今まで気にも留めなかったことに気付いてしまった、そんな驚愕の表情に近かった。
そこでロイは口を閉ざしてしまった。
だが一度湧き上がった疑問は消えない。
さっきは唐突だったこともあってロイの真意は分からなかったが、今思えばある程度推測は出来る。
ロイが改まって食事の話を出す時は、決まって何か記念日的なものがある時だ。
だが近いうちに自分たちの間に記念日のようなものはないはず。
いや、記念日ではないがエドワードにとっての忘れてはならない日が近いうちに迫っていた。
まさかそれに関係しているのか。
その疑問が、ロイが押し黙った答えになった。
(…そっか、)
策略家なロイらしくないミスだな、とエドワードは少し笑った。
競争相手の先の先を読むほどの実力を持っている実業家が、こんな下らないミス。
だがそれが自分だけを想ってくれてのミスだと思うと、エドワードは嬉しくなったのだ。
数日後、エドワードは昔住んでいた近くにあった寺の墓地に、墓参りに行く。
夏もそろそろ終わろうとしている、九月末某日。
両親が他界した日。
エドワードの両親が事故で亡くなった日だ。
そしてその数日後の葬儀の日。
ロイに引き取られたのだ。
おそらくロイはエドワードが引き取られたその日に、何か美味しい物でもと思ったのだろう。
しかしそれはエドワードの両親の葬儀の日でもあった。
その数日前は、両親の命日。
それを連鎖的に思い出して、何故思い出さなかったのだろうと自分でも驚いてしまったんだ。
自分たちが出会った日は、決してそんな安易な気持ちで居てはいけないのだと。
現に去年までロイはそんなことは言わなかった。
命日にはロイも喪服に身を包んで、共に手を合わせてくれていたのだ。
だがここ数日はロイは働き詰めで疲れていた。
そんな時エドワードの顔を見て気が緩んだんだろう、悪気がないことくらい直ぐに分かったのだから。
でなければこんなに申し訳なさそうな顔なんてするはずがない。
でもロイの気持ちを悟って、純粋に嬉しいと思った。
「
―――そんな顔、すんなよ」
エドワードはふっと息を吐いて笑い。
「だが言って良いことと悪いことがある。…すまない…不謹慎だった」
項垂れて謝るロイにぽつりと漏らすと。
「…じゃあ、俺も不謹慎…かな」
「え…」
途端ロイの顔が上がり、エドワードを見た。
「ロイの気持ち…嬉しいって、思った」
大好きだった両親が亡くなった日のことを忘れて美味しいものを食べるなんて何考えてんだよ。
本当ならそう怒ったっていいはずなのに、エドワードは思ってしまったのだ。
「その日が来なければ、俺はロイと出会うことはなかった。その日をロイが覚えててくれて、それを祝ってくれる…ってことを、先に思った」
勿論あの時の悲しみと絶望感、焦燥、忘れたわけじゃない。
今でも苦しいくらい覚えてる。
「でもその日があったから、俺はロイを知ったし、逢えたんだ」
軽く、一億分の一。
互いが出会う確率。
いつ、自分たちは出会うと決まったのだろうか。
少なくともその確率と運命らしきものに。
感謝をしている。
「
―――バースデーパラドックス」
「え…」
ロイが唐突に、ある用語を口にした。
バースデーパラドックス。
二十三人集まれば、その中に同じ誕生日の人がいる確率が五十パーセントを超えるという確率の定理だ。
たった二十三人の中でそんなことがと普通は思うが、事実計算してみればこの結果が出る。
しかし何故、今。
「…私たちがこうして出逢った確率はもしかしたら想像以上に高いのかもしれないな。尤も、立証する方法はないが」
そう言うとロイは微笑んだ。
それでも何処か申し訳なさそうだったが、それはきっとエドワードの両親に向けたものだろう。
互いが今こうして出逢えたことの裏に、喜びも幸せもなかった。
だがもしかしたら、バースデーパラドックスのような予想とは裏腹な確率があったのかもしれない。
全ては憶測。
だが今此処に存在していることは。
「…俺たちがこうしていることが、何よりの事実だろ?」
理論も定理も関係ない。
此処に、事実として存在しているんだ。
そんな日を通して今日、両親の命日を迎えた。
「…今思えば、こじ付けだけどなぁ」
エドワードは亡き両親に向かって苦笑した。
その顔は何処となく嬉しそうだったが、直ぐに顔は曇る。
「
―――俺たちの出逢いは決して…おめでとう、なんて喜べるモンじゃないけど…」
でも、凄い嬉しかったんだ。
ああ、俺はまだ此処に存在してて良いんだって。
生きていて良いんだ、って。
「俺今、幸せなんだ」
この幸せは本当は父さんと母さんから貰えるものだったのかもしれない。
あの事故の日、蝉の声が聞こえないくらいに悲しみに包まれていた。
その日のことを思うと、とても後ろめたくて悲しくもなるけど。
こんな言葉、何て息子だって思うかもしれないけど。
「……ありがとう、父さん、母さん…」
それだけは、言わせて下さい。
そう、少し悲しそうに微笑んだ時。
「何がだ?」
背中の方からロイの声が聞こえてきて、エドワードは振り向かずに。
「何でもない」
「そう言われると気になる」
「気になってればー」
軽く答え、今度は笑った。
これ以上ない、満面の笑みで。
ありがとう。
ずっと、父さんと母さんに言えなかった言葉だ。
育ててくれて。
産んでくれて。
ロイと、出逢わせてくれて。
一概に同じ意味がこもっているわけじゃないけど、それでも最後はこの言葉に行き着いた。
ありがとう
―――。
願わくばバースデーパラドックスのような不思議の事実が、俺たちの出逢いにあったことを。
END.
06/09/18
改めまして三周年を迎えられた喜びを!ありがとうございました!v
一応記念日であるので、話も記念日的なものに☆
ただ二人の場合は何とも複雑なものがあるなぁというのもあって、こんな具合になりましたが(苦笑)
バースデーパラドックス、詳しく知りたい方は検索してみて下さい!
ではでは本当にありがとうございましたv
ささやかなお礼というか喜び?(苦笑)として暫くフリーとさせて頂きますので持ってってやって下さいー☆
(終了しました)
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